小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

967 みかんの花の季節に 名曲から伝わる自然と人生

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 いつもの年ならいまごろは庭のみかんの花が満開となり、甘い香りが周囲に漂っている。ことしは桜の開花が例年より1週間以上遅れ、当然のようにみかんの花のつぼみも開かない。

「みかんの花咲く丘」(加藤省吾作詞、海沼実作曲)という戦後の日本を代表する童謡の名曲がある。だれでもが郷愁を感じるあの歌である。みかんの北限(太平洋側)は千葉といわれ、私が生まれた東北にはなかった。それだけにこの曲は私にとって憧れでもあった。  

 歌詞は割愛するが、この曲を知らない人は少なくないのではないか。この歌の詞を書いた加藤省吾に関する解説によると、加藤は静岡県富士市で生まれた。尋常小学校5年生の時に父親が相場で失敗、両親が失踪した加藤は菓子屋の子守りをしているところを伯父に引き取られる。その後作詞家を目指して上京、さまざまな仕事を続けながら作詞活動を続ける。たまたま記者をしているときに、当時の少女人気歌手、川田正子の取材に行き、そこに居合わせた作曲家の海沼実からこんなことを依頼される。

「明日静岡から空の劇場というラジオ番組を放送するが、この番組で川田正子が歌う曲、それも1回限りなのだが、まだ詞ができていない。協力してほしい。伊東の海に立って、海に島を浮かべ、船の黒い煙をイメージするような詞が書けないか」  

 そこで、加藤が一気に書き上げたのが「みかんの花咲く丘」だった。それは、加藤の人生を反映したような詞だった。海沼も直ちに曲を書き、GHQの審査を受けたというから、急スピードで完成した曲だったのだ。1946年に発表されたこの曲は多くの人に愛され国民的な歌になる。加藤はその後、消息が不明だった両親と再会、母親の最期も看取ることができたという。  

 静岡県伊東市は、丘と海の街である。東北の生家を離れた後、関東地方で暮らすようになった私は何度も伊東の街の丘の上に立って海を見る機会があった。眼前に広がる伊東の海は、加藤の詞の世界を連想することができる。3番の「あの島」は、初島だろうか。幼くして母親と別れた加藤は母への思いをこの詞に託したのだろう。

「自然と人生」という言葉がよく使われ、これを表題にした本(徳富蘆花)もある。童謡と言いながら、この詞からは加藤の「自然観、人生観」が伝わってくるようだ。

 俳句ではみかんは冬の季語で、夏の季語はみかんの花である。「ふるさとはみかのはなのにほふとき」。自由律俳句で知られる種田山頭火の有季定型型の句である。山頭火は、山口県西佐波令村(現在の防府市)出身で、いまごろの季節に、みかんの花が香る故郷を思ってこの句をつくったのだろう。 写真は、宮城県・大島から見た海の風景(ここにはみかんの木はない)