小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

651 柳絮(じょ)幻想 風のガーデン異聞

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 旭川郊外に住む陶芸家の工藤和彦さんを訪ね、思わぬ体験をした。それを私は「柳絮(じょ)幻想」と名付けた。工藤さんの家の周辺は、夏なのにボタン雪が降るように、白いものがふわりふわりと舞っており、次第に吹雪のような状態となり、遠くが霞んできたのだった。

 彼は「こんなにすごいのは珍しいですよ」と言う。柳絮(実はポプラの綿毛)が私を歓迎してくれたのだ。

  柳絮は、北海道や長野県に住む人にはそう珍しいものではない。中国でもいまごろの季節は、首都北京や東北部の街には、白い綿毛が飛んでいる。かつて北海道に住んだ時代や中国を旅した際に、何度もこの風物詩に出会った。しかし、今回の工藤さん宅周辺の柳絮は段違いだった。本当にボタン雪が降っている感覚なのだった。

  北海道はポプラが珍しくない。ポプラは花が咲いた後、綿毛付きの種子を大量につけ、この種子が風に飛ばされ、空を舞う。これを柳絮という。ちょうど5年前にドイツで行われたサッカーのFIFAコンフェデレーションズカップで、テレビにこの大量の綿毛が舞っているのが映ったことを覚えている人もいるかもしれない。中国の柳絮はシダレヤナギの一種のシロシダレの綿毛といわれる。

  ポプラは成長が早いが、根の張りが弱いため台風などの倒れることが多い。工藤さんは旭川郊外の突哨山の一角に住んでおり、付近には大きくなったポプラの林がある。前日は雨が降り肌寒かったというが、この日は急に暑くなり、ポプラの綿毛が大量に空に舞ったようだ。その見事さに私はしばし見とれてしまった。

  その夜、市内で食事をしていた私の耳にこんな話が入ってきた。話の主は富良野の「風のガーデン」という庭園の運転手らしい。

  風のガーデンは新富良野プリンスホテルのすぐ近くにあり、入場料を払った人はそこからパークゴルフ場の横の芝生の中の道路を車に約4分乗って現地に到着するという。富良野在住の倉本聰さんの脚本で2年前にフジテレビで放送された同名のドラマの舞台として有名になった。英国風の庭園で「カンパニュラ」や「ラズムイヤー」などが植えられている。

  ある日、入り口から4人を車に乗せ出発すると、運転手のすぐ後ろに座った初老の女性がくどくどと文句を言い出した。「歩く人のための道路はあるのか」と聞くので、運転手が「ありますよ。ここから少しはなれていますが」と答えると、女性は「エコ時代なのに歩かせないのはおかしい。歩いた人には入場料は安くすべきだ」と言う。

  運転手が「この車は無料ですよ。歩いても入場料は変わらないと思いますよ」と話しても女性は納得しない。「じゃあ歩きますか」と聞くと、車を降りようとしない。そして「こんなところで車はおかしい」と自説を繰り返した。

  4分後、ガーデンに到着すると「私はやはり納得しません。検討するよう伝えてください。いろいろ意見がある人がいると思いますよ」という捨て台詞を残して一番先に車を降りた。あとから降りた客は、運転手に「大変ですね。ご苦労様」と声を掛けてくれたという。

  私はこの話を聞いて、不愉快になった。運転手に対してではない。女性に対してである。歩きたければ入場料を払う時に、歩くコースがあるかどうか聞けばいい。それをしないで、車に乗り込んで、運転手に文句を言い続けるのは筋違いなのである。それに暑い中を歩くよりも、早く目的地に行きたいという人も少なくないはずだ。

  彼女と一緒に車に乗った人たちは、短い時間ながら不愉快な思いをしたのではないか。KYな女性だと思った。運転手は「あんなお客さんは初めてだよ。何か面白くないことがあったのかもしれないなあ」と話した。

  私は柳絮の舞いで北海道の素晴らしい幻想の世界を味わった。しかし、その夜の運転手の話で、現実に戻された。運転手の話に出てくる女性は、何を楽しみに風のガーデンを訪れたのだろう。美しい草花や庭園は、ささくれ立った人の心をやわらげてくれる。彼女もガーデンに入って、少しは穏やかな心を取り戻したろうかと思った。