小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1521 中国の旅(8) 神風運転の車に乗って……

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 特に途上国に行って車の運転をしようとする人は自分の腕に自信があるか、必要に迫られて仕方なく、という場合が多いのではないかと思う。例えば、私は東南アジアのタイやベトナムで「運転を」と言われても、辞退する。車の洪水の中で立ち往生してしまうのがオチだと思うからだ。それは中国の場合も同様と、実感した。

 内モンゴルの包頭で何度かマイクロバスに乗った。この40代と思える男性運転手は、相当腕に自信があるらしく、一般道でもスピードを出し続け、車線を変える際には方向指示器(ウインカー)を出さずにいきなり急ハンドルを切ったりする。それでも後続車に追突されない。

 高速道路に入ると、そのスピードの体感は150キロ近いと思われるが、この車のスピードメーターが壊れていて、実際の速度は分からない。 この旅の間中、世話をしてくれたAさんは「この車はオンボロだから、150キロなんて出ないわよ」と普通の表情で話すが、私といえば足を突っ張ったままなのである。最初、助手席に座った。

 だが、あまりのひどい運転ぶりに度肝を抜かれ、同行者に席を替わってもらい、後部座席に移った。ところが、シートベルトは運転席と助手席だけで、後ろにはない。しかも、運転手は途中でベルトを外している。 携帯電話のベルが鳴った。右手で携帯をいじり、左手1本で高速の運転を続けるが、そのうち車は走行車線を外れて、隣の車線との間、つまりセンターラインをまたぎながら走り始める。後続車がけたたましいクラクションを鳴らして近づくと、慌てて走行車線に戻るのだ。

「彼は以前、きっとレーサーだったに違いない」。こんな冗談を私は言ったが、レーサーなら逆に、こんな無茶な運転はしないだろう。元F1レーサーの鈴木亜久里さんが「公道を走るときはサーキットより危険が多いので慎重な運転をする」と言っているのを雑誌で読んだことがある。

 運転手は高速で走っているにもかかわらず、暑いと思ったのか、運転席側の窓を開けてビュンビュン飛ばすものだから、冷たい風が車内に入り込んできた。そしてこの夜、私はのどを痛め、さらに旅の終盤、風邪をひいてしまった。日本でも経済の高度成長が始まった昭和30年代、交通規則を守らず、速度制限無視、信号無視、急発進急停止、無理な追い越しなどをする「神風タクシー」が社会問題になった。彼が大きな事故を起こさぬよう願うばかりである。

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 (続く。次回は9回目、神秘の街での雑感です)