小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1465 未曾有の災害乗り超えて 『霊性の震災学』を読む

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 学問的には幽霊は研究外という。幽霊と聞くと、オカルトや霊性という言葉を思い浮かべる人も多いだろう。それは心が穏やかではない、背筋が凍る話である。しかし、東日本大震災後の被災地では幽霊現象が相次いだという。震災直後に回った宮城県でそのことが話題になっていた。その幽霊現象を含め、被災地で起きたさまざまな現象を検証し、論文にしたのが『呼び覚まされる霊性の震災学 3・11生と死の狭間で』(新曜社)である。  

 東北学院大学(本部・仙台市)の金菱清教授のゼミナールは震災の記録プロジェクトとして、被災地でどのような現象が起きているかを卒業論文にまとめた。学生7人の論文と金菱教授の論考含めた8章から成るこの本は、被災地に何度も足を運んだフィールドワークの蓄積を行間から読み取ることができる。  

 いろいろなメディアで紹介された工藤優花さんの「死者たちが通う街―タクシードライバ―の幽霊現象」は、宮城県石巻市でのタクシー運転手の幽霊目撃談を書いている。乗せたはずの乗客が目的地で消えている。メーターを倒し、日報につけているので人を乗せないはずはない。だが、人は消えている。怪奇現象である。幽霊ならば、運転手は肝を冷やし、二度とこのような目に遭うのはごめんだと思うはずだ。  

 しかし、工藤さんの質問に答えた運転手たちはそうしたぞっとした経験とは違う思いを持っている。幽霊たちに対し「畏敬」の念を持っているように感じるのだという。震災では若い人が数多く亡くなっている。タクシー運転手が遭遇したのは、ほぼ若い幽霊だった。若い人たちはこの世に思いを残して命を奪われたが故に、魂がこの世を漂っていたのだろうか。  

 工藤さんに続いて菅原優さんは宮城県名取市閖上地区の慰霊碑問題、水上奨之さんは同県南三陸町の防災対策庁舎の保存問題、斎藤源さんは同県山本町の両墓について考察している。さらに小田島武道さんは石巻市での葬儀社の遺体掘り起しについて、小林周平さんは岩手県山田町と宮古市消防団活動、伊藤翔太郎さんは原発避難区域である福島県浪江町の猟友会の活動について研究した。金菱教授は宮城県塩竈市石巻市の被災者の孤立や死について論考している。いずれも現地調査をしなければ把握できない事象である。  

 この本は学生たちのフィールドワークが結実したものだ。それは困難な作業だったに違いない。大震災から5年が過ぎても被災者の悲しみ、苦しみは容易に癒されない。そうした被災者が涙を浮かべながら質問に答えた光景がこの本からは浮かび上る。金菱教授はあとがきで「未曾有の災害の悲しみを乗り越えた方々の強さを感じ取ってもらえれば幸いである」と書いている。

 この本からは被災者がこの5年間耐え抜いたことを感じ取る。同時に、原発事故の被災者を中心にこれからも耐え続けなければならない人たちが数多く存在することを日本人全体が忘れてはならないと訴えているように思えてならない。  

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