小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

618 命の大切さを伝えるボランティア 家族の2つの約束

画像 最近、熊本県で環境カウンセラーになった女性に会った。不思議なオーラを持つ女性だった。話を聞いていて、人間の強さを思った。

(写真は千葉県佐倉市のチューリップ祭会場)

 環境カウンセラーはそれまでの活動を通じて得た環境保護に関する専門的知識と経験を、市民やNGO、各事業者が進める環境保護のための活動をアドバイスするのが役割という。環境省の審査(論文と面接)を経て、認定される環境問題のエキスパートなのである。

 私が会ったこの女性は熊本県八代市で「次世代のためにがんばろ会」という、環境保護運動をしている団体の代表を務める松浦ゆかりさんだった。松浦さんの団体は、八代市でカキ殻を川に沈めて、川をきれいにする運動をやっている。 松浦さんをこのような環境保護の活動に導いたのは、何だったのだろう。実は子どもの死という悲しみが背景にあったのだ。その心境を松浦さんは、以下のようなエッセーにした。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  

 私は、中学時代の多感な時、実父や祖母の「死」と向かい、悲しみ苦しんだことはあったが、一番かわいい盛りの5歳(三男)のわが子を交通事故で亡くした時は「生きる術をなくす」と表現されるように、言葉にできない心境が5年も続いた。まだ年数的にはそんなに重ねていない私の人生の中で、彼の死は「生きる」ことの大変さと「命の大切さ」を身が切れるほど味わった一ページだった。

 しかし、三男が身を持って教えてくれた「命の価値」が、2つのきっかけを作り、今までの私の人生を変えることになった。 まず1つ目は、残された息子たちに教えられた、たくさんのこと。その時の私は毎日「死にたい」と仏壇の前でつぶやいていた。横で手を合わせる次男が「お母さんが死んだら僕たちはどうすればいいの」と真剣な目で尋ねた。その言葉にハッと気づき「この子を守るのは私しかいない。母として頑張らねば」と、心機一転した。

 現在、巣立っていった息子たちが、私に「前向きに考えて」という言葉をかけてくれる。子育ては、「教育」ではあらず「共育」であるのだろう。あの子の大切な「命」の礎がいまの私たち家族に生きることの大切さを教えてくれた。 2つ目は、事故死から立ち直れずにいた時、友人の勧めでボランティアを始めた。そして、そこで思いもよらないいろいろな生き方の人々と出会う。

 その素晴らしい生き方は、それまでの私の生き方にない「人としての見本」といえるものであった。 今までの気持は返上し「命の大切さ、価値を伝えていこう」と市民団体を立ち上げることになる。大人として子どもたちに何を残すべきか、と問いながらいつ死んでもいい、と毎日を精一杯生きている。

 悲喜こもごもあった私の人生。いまの私は命の大切さはもちろん、生き方の価値観が180度変わった。そんな私とともに活動してくれる素晴らしい仲間に、また活動を支えてくれる家族に感謝している。そして、心から言いたい「ありがとう」と。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 松浦さんは、三男を交通事故で失った後、仏壇の前で「死にたい。○○ちゃんのところに行きたい」とつぶやいたことがある。その時、松浦さんの横で仏壇に手を合わせていた小さな次男が「お母さんが死んだら、僕たちはどうすればいいの」と、必死の表情で松浦さんの顔をのぞきこんだというのだ。我にかえった松浦さんは次男を抱きしめ「この子どもたちのために頑張らねば」と気付いたそうだ。

 松浦さんは、「わが家の約束」というエッセーの中で「亡き三男の大切な命の礎がいまの私たちの家族の絆であり、言葉にしなくとも理解できる2つの約束をつくってくれた。それは自分の人生悔いのないよう精いっぱい過ごすこと、そして絶対に自ら命を絶ってはいけないことだ。私たち家族は、この2つの約束を常に心に持ち、いまを一生懸命生きている」と書いている。

画像(写真は、カイドウやチューリップ咲いたわが家の庭)  

 いまの日本は、生きるために苦闘を続けている人が少なくない。その戦いに敗れ、自ら命を絶つ人の数は年間3万人を超えるのが常態化してしまっている。それほど、大変な時代なのである。だが、ひた向きに生きる松浦さんの姿を見ると、人間の強さを感ずる。人間は悲しみ、絶望の淵に立っても、立ち直ることができるはずなのだ。