小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1675 なちかさや沖縄 今を「生きる」

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 23日は沖縄慰霊の日だった。糸満市摩文仁平和祈念公園で開かれた沖縄全戦没者追悼式。ことしも中学生による平和の詩の朗読があった。沖縄県浦添市立港川中3年の相良倫子(14)さんが読み上げる「生きる」という詩を聞いていて、胸が熱くなった。それは戦後沖縄でうたわれた「屋嘉節」という民謡を彷彿させるものだった。

「屋嘉節」(金城守賢作詞、山内盛彬作曲)はこんな民謡だ。

  なちかさや沖縄(うちなー) 戦場(いくさば)になやい 世間御万人(うまんちゅ)ぬ流す涙

 あわり屋嘉村の闇夜の鴉 親うらん我が見 泣かんうちゅみ

(なつかしい沖縄は戦場となり、あまたの人たちが涙を流したのです/哀れなのは屋嘉村の闇夜のカラスです、親をなくした私が泣かないでいられましょうか・与那原恵首里城への坂道』・中公文庫より)

  約20万人が亡くなった沖縄戦。生き残った32万人の住民は米軍が各地につくった捕虜収容所に収容された。また投降した旧日本兵7千人は国頭郡金武町屋嘉の収容所で生活し、ここで「屋嘉節」が生まれたといわれている。沖縄戦の悲惨さを歌ったこの民謡は、複数存在する歌詞ととともに今も歌い継がれている。

 沖縄で民謡を奏でる際には三線という弦楽器を使う。しかし戦争はこの民族楽器に対しても容赦はしなかった。三線は沖縄から消えたのだ。後掲の相良さんの詩にもそれが書かれている。「サンシンをうしなった人びとは、米兵が捨てたおおぶりの空き缶を使って『カンカラ(缶)サンシン』をつくり、この悲哀にみちた民謡をうたった」(同書)という。

  73年前の沖縄戦での住民の犠牲者は約9万4000人といわれるが、餓死やマラリアなどの病気で亡くなった人たちを含めると15万人以上になるという。それは軍人の戦死者(約9万4000人)よりも多かったのだ。

 

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 相良さんが朗読した詩「生きる」は、このような沖縄戦の悲しみの歴史が込められている。全文は次の通りだ。

 

私は、生きている。

マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、

心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、

草の匂いを鼻孔に感じ、

遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

 

私は今、生きている。

 

私の生きるこの島は、

何と美しい島だろう。

青く輝く海、

岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、

山羊の嘶き、

小川のせせらぎ、

畑に続く小道、

萌え出づる山の緑、

優しい三線の響き、

照りつける太陽の光。

 

私はなんと美しい島に、

生まれ育ったのだろう。

 

ありったけの私の感覚器で、感受性で、

島を感じる。心がじわりと熱くなる。

 

私はこの瞬間を、生きている。

 

この瞬間の素晴らしさが

この瞬間の愛おしさが

今と言う安らぎとなり

私の中に広がりゆく。

 

たまらなく込み上げるこの気持ちを

どう表現しよう。

大切な今よ

かけがえのない今よ

 

私の生きる、この今よ。

 

七十三年前、

私の愛する島が、死の島と化したあの日。

小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。

優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。

青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。

草の匂いは死臭で濁り、

光り輝いていた海の水面は、

戦艦で埋め尽くされた。

火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、

燃えつくされた民家、火薬の匂い。

着弾に揺れる大地。血に染まった海。

魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。

阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

 

みんな、生きていたのだ。

私と何も変わらない、

懸命に生きる命だったのだ。

彼らの人生を、それぞれの未来を。

疑うことなく、思い描いていたんだ。

家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。

仕事があった。生きがいがあった。

日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。

それなのに。

壊されて、奪われた。

生きた時代が違う。ただ、それだけで。

無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。

 

摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。

悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。

私は手を強く握り、誓う。

奪われた命に想いを馳せて、

心から、誓う。

 

私が生きている限り、

こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。

もう二度と過去を未来にしないこと。

全ての人間が、国境を越え、人種を越え、

宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。

生きる事、命を大切にできることを、

誰からも侵されない世界を創ること。

平和を創造する努力を、厭わないことを。

 

あなたも、感じるだろう。

この島の美しさを。

あなたも、知っているだろう。

この島の悲しみを。

そして、あなたも、

私と同じこの瞬間(とき)を

一緒に生きているのだ。

 

今を一緒に、生きているのだ。

 

だから、きっとわかるはずなんだ。

戦争の無意味さを。本当の平和を。

頭じゃなくて、その心で。

戦力という愚かな力を持つことで、

得られる平和など、本当は無いことを。

平和とは、あたり前に生きること。

その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

 

私は、今を生きている。

みんなと一緒に。

そして、これからも生きていく。

一日一日を大切に。

平和を想って。平和を祈って。

なぜなら、未来は、

この瞬間の延長線上にあるからだ。

つまり、未来は、今なんだ。

 

大好きな、私の島。

誇り高き、みんなの島。

そして、この島に生きる、すべての命。

私と共に今を生きる、私の友。私の家族。

 

これからも、共に生きてゆこう。

この青に囲まれた美しい故郷から。

真の平和を発進しよう。

一人一人が立ち上がって、

みんなで未来を歩んでいこう。

 

摩文仁の丘の風に吹かれ、

私の命が鳴っている。

過去と現在、未来の共鳴。

鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。

命よ響け。生きゆく未来に。

私は今を、生きていく。

 

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 写真 1、沖縄の美しい海 2、3、4、サガリバナ(夜間に咲き、朝になると散ってしまう。花言葉は幸運が訪れる)

 

1373 みるく世がやゆら(今は平和でしょうか) 沖縄慰霊の日に思う

 

1651 坂の街首里にて(1) 歴史遺産とともに