小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

999 歴史の街を歩く 平戸と萩への旅・平戸にて(1)

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 駆け足で長崎の平戸と山口の萩に行ってきた。目的は2つの街の博物館を訪ねることだった。 南蛮貿易の拠点になった平戸、明治維新の中心を担った長州藩の本拠地だった萩。両市とも歴史に名を残している伝統の街だ。人は地方から大都市へと集まり続け、日本は一極集中化化現象が続いている。

 地方を歩くと、商店のシャッターが閉まったままのシャッター通りが目立ち、限りなく寂しい気持ちになることが多い。そんな地方の中で、2つの歴史の街は健在だった。 平戸へは長崎空港から佐世保行きのバスに乗って1時間半、さらに佐世保から松浦鉄道という第3セクターの鉄道で「たびら平戸口」(本州最西端の駅だ)まで約90分を要した。佐世保に向かうバスは、途中ハウステンボス前で止まり、数人の客を乗せた。

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 オランダの街並みを再現したテーマパークは、20年前の1992年にオープンした。バブル経済のときに構想されたが、オープン時は崩壊が始まっており、前途多難が予想されたのは当然だった。結局、人は集まらず11年後に会社更生法適用を申請。その後、野村証券グループの企業による支援、旅行代理店・H.I.Sの支援というテコ入れが続き、2010年には初の黒字になったという。

 だが、地元の人は「お客さんはほとんどが中国人で、日本人の姿は少ないですよ」と話していた。日本の遠隔地からわざわざここまで来る人はそういない。もし中国からの観光客で持っているのだとしたら、前途は安泰ではないと思う。

 平戸は、江戸時代にオランダやポルトガルとの交易の拠点になった。オランダの商人たちが巨大な石造りの倉庫(オランダ商館)も建設して、南蛮色の濃い街になった。この倉庫建設が問題になり、平戸のオランダ商館は幕府の命で取り壊され、交易の拠点である商館はその後出島に移ってしまう。倉庫にキリスト生誕にちなむ西暦の年号が示されていたのが理由だ。1941年のことで、平戸の商館の歴史は33年という短いものだった。

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 その平戸に昨年、オランダ商館の倉庫が復元され、博物館として利用されている。湾を挟んで、平戸城の対岸にある商館は青い海に映える白壁の美しい建物だ。地域おこしの一役を担っている商館では、いま「船乗りたちが伝えた海外の酒展」という洋酒に関する企画展が開かれ、子どもよりも大人が熱心に展示物をのぞきこむ姿が見られた。

 オランダ商館の運営を担当する松浦史料博物館は、近くの高台にある。平戸湾が広がり、平戸城がその後ろに控えている。博物館は旧平戸藩主の松浦家に伝わる資料や建物を保存、展示しているが茅葺き部分の屋根が老朽化し、雨漏りがするという。葺き替えをすると数億円の費用がかかるそうで、博物館の学芸員・岡山芳治さんは「何とかしたいのですが・・・」と、思案にくれていた。商館は復元されたが、一方の日本の伝統的建造物の保存はピンチなのだ。

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 茅葺屋根葺き替えの見通しがつくことを祈りながら、平戸から萩へと向かう途中、平戸が長崎よりも早くカステラがオランダ商人によって伝えられたことを思い出した。だが、駆け足の旅だったため、カステラを買うことは忘れた。次の機会には忘れず、買ってこようと思う。実は、私が一番好きな菓子はカステラなのである。

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写真 1、オランダ商館から見た平戸城 2、白い壁が美しいオランダ商館 3、伝統的建物・松浦史料博物館 4、5本州最西端の松浦鉄道たびら平戸口駅