小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

555 詩人が考える言葉とは 詩集「薇」から

「薇」(び)という漢字は、植物のゼンマイのことであり、「薔薇」(バラ)の「薇」にも使われる。その「薇」の冠をつけた「詩誌」が詩人の飯島正治さんから届いた。8人の詩人の詩と小文を掲載した38頁の創刊号だ。私は詩のことはよく分からない。しかし、言葉を大事にする人々の「心」がどの詩からも伝わってくる。

  編集を担当した飯島さんは後記で「『薇』は薔薇の薇、またゼンマイの漢字ですが、『微』のかすかでひそかな意に草冠を付けたことで、生成の動きが表せたと思います。創作者として地道に、内実はビビッドでありたいという思いを込めることができました」と書いている。早速、飯島さんの「山村の記録」という詩をじっくり読んだ。中国・雲南省に旅したときの思い出を詩にまとめたようだ。村の長老と話をする飯島さん。その情景が浮かんでくる。

 

 雲南シーサンパナの高地 山の斜面の鳥居のような門をくぐると ハニ族の村だ

  村長の李さんが 家の前で坂道の路肩を直している 白いシャツにメガネ 日本の日焼けしたおじさんと変わらない

  李さんは囲炉裏で湯を沸かし 自家製のプーアール茶をすすめる ベランダには朝摘んだ茶葉が干してある 

  ここの茶はおいしいねぇ、と言うと 一族五十六代目の誇り高い顔になる 李は少数民族同化の中国名 実際はハニ族には姓がない かつての日本の庶民のように

  ハニ族は本来文字を持たないから 神話も伝説も口伝え 神様は文字を授けたけれど 牛の皮に書いたものだから 人が食べてしまって文字は残らなかった

  だから小学三年から教える中国語で 李さんが急がなければならない記録 民族の山の文化を書き残すしかないのだ 歌垣や逢引小屋のこと 山菜の漬物のことなどを

  日本人は遠くの親戚のようだという李さん 藍染めの民族衣装で見送ってくれた

 詩のあとに「小景」と題する8人の短文が載っている。詩人の文章はいい。凝縮され、研ぎ澄まされた文章が次々に出てくる。新聞社勤務の秋山公哉さんは「詩と見出し」という短文を書いている。秋山さんは新聞社で記者が書いた記事に見出しを付け、紙面のレイアウトをする仕事をして20年になるという。以下、秋山さんの文章を要約する。

  見出しとは、読者が「読む」のではなく「見て」分かるよう少ない文字で表す。詩の言葉が想像力を広げていくのに対し、見出しは正確に意味が通じるよう言葉を限定していく。見出しの付け方は時代の影響を受ける。発言そのままや記事の内容を直接話法で表すのだ。例えば「『陰性証明ください』急増」は、昔なら「陰性証明書の要請急増」だろう。若い人は意味を深く考えない。解釈しようとしない、直接的な物言いを好む・・・などなどいろいろなとらえかたができるだろう。詩とは別の角度から、言葉について考えている。

 秋山さんが言うまでもなく「言葉」というコミュニケーション手段は、時代とともに変化を遂げている。特に、昨今は異彩を放つ「携帯メール言葉」も発達し、若者は新しい言葉を次々に使い出す。「KY」のように一般語として認知される新語もある。そうした時代だからこそ、分かりやすく達意の文章に触れたいと思う。