小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

907 東日本大震災と文学・詩 比喩が成り立たない

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「震災以後、なかなか詩が書けない」と、新聞記者で詩人の秋山公哉さんが詩誌「薇」5号で書いている。「薇」は昨年亡くなった飯島正治さんが主宰していた同人誌で、飯島さん亡き後も発行されている。今回は、東日本大震災に触れた秋山さんらの詩も載っている。その後に続くエッセーで、秋山さんは震災に直面した一人の詩人の心境を「なかなか詩が書けない」という表現で記したのだ。

  私自身、震災後しばらく文章を書く気持ちが起きない日々が続いた。テレビや新聞で被災地の実情は理解できても、自分の目で現地の姿を見ない限りは、納得ができないと思っていた。1カ月後、被災地に入り、すさまじい被害の実態を五感で受け止めた。

 「薇」5の中には中尾敏康さんの「入日」という亡き愛犬を思う詩があった。

  ポチよ お前の夢を見なくなって久しい 憐れな遠吠えを 猫の額ほどもない庭に埋めて 泡立つおまえの記憶も はるか稜線にかすもうとしていた お前の塚においた ガラスのコップがひっくり返るまでは

  ポチよ おまえの知らない 春の地鳴りは 後生大事にしまっておいた ため息を門外に吐き出し 断碑に刻んだ泥の群れは 雑木林に巣くうたましいと 生者の体温を引きちぎり 折れた橋の下に投げこんだ そして地平は揺りもどされて ざらつく肌を 海へいそがせた

  ポチよ おまえは地の揺れを怖がった ひとたび揺れると どこにいてもおまえは俺をさがした 尻尾を巻き身を顫わせ 涎をたらし呻いてしがみついた

  ポチよ おまえは知らなくてよかった なお戦いのつづく日本の東の方 海と土のにおいのする人たち それぞれの貌を 西の空に浮かべて 秋のいちにち 候鳥はいつ南へ去るのか 俺はそればかり気にしている

  

 秋山さんは「ガレキ」という詩を載せている。

  三月 東北はまだ寒かった いつもと同じ昼を迎え いつもと同じ午後を過ごすはずだった 

  その時から 私達の言葉は変わってしまった 悲しみ 慰め 怒り 救い 諦め 私達は言葉から 意味を失った

  四月 私は立ち尽くしていた 音のしない街 レールの無い鉄道 意味と現実のはざま 言葉とガレキの中で 立ち尽くした

  五月 私は待った 飛行機の降りない空港 子どもの来ない学校 と 書いたきりで 言葉に意味の訪れを待った

  そして今 稲を植えられない田に 雨が降りかかる 六月は祈りの月 私は散らばったガレキを 拾い集めているところだ

 

 詩に続く「小景」というエッセーでも、何人かが震災について思いを記している。杜みち子さんは「私に出来ること」という文章の中で「三月の大震災について描く資格は自分にはない、という感覚が私の中でずーっと続いている。そして、直接被災していない自分の日常のことを書く時には、気持ちの何処かに『申し訳ない気持ち』が潜んでいる」と書いた。

  秋山さんも「試されている」というエッセーで「新聞記者の習性もあって、自分で見たものしか信じない、というところがある。もちろん、それだけでは詩は書けない。想像があり飛躍があり比喩がある。でも私の詩の根っこには、体験が動かし難くある」と前置きし、震災のあと、詩が書けなくなった胸の内を明かしている。

  ―震災以後、なかなか詩が書けない。圧倒的な現実の前にほとんど部外者の私には実体験としての震災が書けない。被災者の『痛い』にどれだけ同調できるのか。では比喩では書けないか。比喩もまた、震災の現実を超えられないのだ。詩に向かう姿勢が問われている。私の詩が体験から始まっているなら、愚直に現実と向き合えと言うことか。覚悟が試されている。

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 東日本大震災はこれまで生きてきた人生で衝撃度が一番深い事象といっていい。津波原発事故という大災害の現実から逃避したくなる思いを持った人は少なくないだろう。だが、それでは何も解決しないことは自明の理である。秋山さん流に愚直に現実に向き合う姿勢を取り戻したいと思う。