小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1180 荘子・胡蝶の夢に惹かれて ある詩人を偲んだ絶唱

画像 詩人の飯島正治さんが亡くなって3年が過ぎた。亡くなる1年前の2009年から飯島さんが中心になって発刊した詩誌「薇」の第9号が手元に届いた。9人の同人による詩と「小景」という短いエッセーが掲載されている。言葉と向き合う達人たちの詩の中で、ふくもり いくこさんの「胡蝶の夢」が心に残った。

 荘子をめぐるやりとりを記し、飯島さんを偲んだものだ。 (以下、ふくもりさんの詩)

《先生の夢を聞きそびれてしまった 夏の気配のさきがけの日 「私は荘子が好きでねぇ」 痛む身をよじり まといつくものの予感を払うように きっぱり言われた 「荘子」を知らず 入手した「荘子物語」は書棚に並んだまま ひもとく前に訃報が届き それっきりになってしまった  あれから三年 眠れない夜 促がされ誘われるように手に取る 

荘子」と先生はどこで繋がるのか なぜ「荘子」が好きと言われたのか 「荘子物語」の中に先生を索ねる 「雨ニモマケズ」の賢治精神を 話す程に熱くなっていく私に 「無理しなくていいんですよ あるがまま自然に生きなさい ひとつのものに縛られないで」と 先生の声が聞こえるような気がする けれど 組織や権威の中に縛られ 思うように動けなかったのは先生の方ではなかったろうか 

 先生こそあるがまま自然体でいきたかったはず 先生の夢は何だったのだろうか 今なら話の続きができるかもしれない 幻のようなあの日のテーブルを挟んで 何の縛りもなく無為自然に生きた「荘子」は ある日 蝶になった夢を見たという 『荘周夢に胡蝶となる 栩栩然として胡蝶なり』 「猛暑日」という気象用語が初めて使われた あの暑い夏 先生は逝かれた 夢の中の出来事にしたかった 窓の外には大きな黒揚羽がひらひらと舞い 竹藪の奥へ消えていった(引用 講談社学術文庫諸橋轍次著「荘子物語」より、荘周・周は荘子の名、栩栩然(くくぜん)・ヒラヒラするさま」》

 荘子は紀元前4-3世紀ころ(推定)の中国の思想家だ。「老荘思想」と呼ばれるように、老子とともに春秋戦国時代の大思想家として知られている。中国思想研究家の福永光司氏によると、老子の思想は「処世の知恵」(現実にいかに対処するか)であり、荘子の方は「解脱の知恵」(最も偉大なまともでない思想)だという。

 常識的な思考と世俗的な価値を否定し、人間の醜さ、愚かさと、卑屈さと驕慢さを知り抜き、「無為自然の思想」と言われた。 そんな荘子を飯島さんが好んだという。飯島さんは新聞記者だった。

 とはいえ、ふくもりさんの詩のように組織や権威の中に縛られ、思うように動けなかったのかもしれない。そして、あるがままの自然体で生きることはできなかったから荘子に惹かれたのだろうと、勝手に想像している。

 私の手元には諸橋轍次著「荘子物語」と、加島祥造訳の「タオ 老子」の2冊の本がある。あらためて読み返し、老荘の世界をのぞいてみたいと思う。

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