小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

477 映画「劔岳 点の記」 立山連峰の美しさ・厳しさ

いま、日本では中高年の間に登山ブームが起きている。趣味として山に登り、頂上を極めた達成感と美しい景観を味わおうということだろう。

困難な山に挑むいわゆる登山家を別にすれば、山は趣味を楽しむ人々のパートナーになっている。映画「劔岳 点の記」は、登山家たちよりも先に劔岳の登頂を目指す測量官の話だ。史実を基にした新田次郎の小説を映画カメラマンの木村大作が監督として映像化した。美しい立山連峰の自然に目が奪われた。

新田次郎の小説はノンフィクションに近い作品であり、事実を忠実に再現しようという作者の思いが伝わる。それだけに山の描写はすごい。小説の中の出来事で読むものが実際に経験したことは頭に思い浮かべることができるが、それ以外は文字を読み勝手に想像するしかない。

私のように山の門外漢は新田次郎のこの作品を読んで、そうか、山は厳しいのだなあと思うだけだ。それをさらに視覚で迫るのが映画だ。監督の木村大作は元々映画のカメラマンだ。この映画は木村の得意分野である映像に最大限の力を使ったのではないか。立山連峰の美しさは何だと思う。

現代、地図作りは国土地理院が担当している。この映画の明治時代は、陸地測量部という国の機関があり、そこに測量手という人たちがいた。

地図作成のためにあらゆる努力をする。映画のパンフレットには「だれもが結果を急ぎ、効率が優先されるいまの時代に、信念と勇気を持って本物にこだわり続けた208日間。体感温度氷点下40度。・・・・この映画もまた、仕事に誇りを持って、真摯に取り組んだ人々の魂の記録だ」とある。

これだけひたむきに仕事に向かう人々が明治時代から存在したのである。ほぼ男が中心を担った映画だ。宮崎あおいが唯一せりふを持った女性ではなかったか。(余貴美子も地味ながら出ていた)

木村監督は、この映画は全員でつくった映画でという思いで、最後の出演者・スタッフ・協力者について字幕で役柄や担当は書かず「仲間たち」として、同じ大きさのフォントで映し出している。木村監督はたぶん頑固なのだろう。

出演者たちにもそれが伝染したのかみんな頑固な顔をしている。それがいい表情なのだ。秋の立山連峰は素敵だろうなと想像する。