小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

469 通勤電車でわが道を行く人 我慢は日本人の特性?

JRを毎日利用している。ラッシュよりは少し外れた時間なのだが、込みようはいつになっても解消されない。それなのに、傍若無人な振る舞いの人が何と多いことか。多くの人は心の中ではいい加減にしろと思いながら黙っている。我慢は日本人の特性でもあるように。

けさもこんなことがあった。多くの乗客が列をつくり、到着した電車に乗り込もうとするが、入り口付近の右側には携帯電話の画面を見たままの若い男性がおり、その反対には漫画を広げた若い女性がいる。押し合いへし合いしながら乗り込む。すると、もう1人、大柄の若い男が漫画を広げたままひじを張って、動こうとしない。

何とか電車は発車する。漫画を持った男も女も自分の世界に入り込んで、本を閉じようとしない。携帯電話を広げる人も増えてきて、電車が揺れるたびにほかの乗客にもたれかかる。文句を言えば、けんかになることを恐れて、だれも何も言わない。

この後、また短い区間ではあるが、JRの別の路線に乗り換える。この電車には入り口近くにもつり革のついた捕まり棒がある。体を支えるためとはいえ、入り口近くの捕まり棒は迷惑だ。乗降の際はよけてくれればいいが、よけないままに捕まった人が多いのはどうしたことだろう。ここでも、だれも文句を言わずに、仕方ないなあという顔をしながら乗り降りするのだ。

こうした傍若無人の態度を取るのは若者だけではない。いつも同じ電車に乗り合わせる熟年の男性は、座ると必ず足を組む。込んできてもその姿勢は変えない。家族がそんな姿を見たらどう思うのかと、心配したりする。

かなり、以前、国労動労の順法闘争で大きな影響を受けた乗客たちが不満、怒りを爆発させ暴動を起こした上尾事件(1973年)があった。この事件以後、日本は豊かさを増し、日本人は急速に大人しくなった。そして、電車の中は静かになり、物を食べたり、化粧をしたり、床にべったりと座り込んだり、携帯をしたり、混雑とは関係なく漫画を読んだりと「わが道を行く」場に化してしまった。

もちろん、優先席は有名無実になり、いい若い者が座って車内放送を無視して携帯をいじっている。これが21世紀、2009年の現実の姿だ。日本人はどうしたのだろう。