小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

405 生と死への問いかけ 天童荒太「悼む人」

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 本の題を見ただけでは、内容はなかなか想像できない。しかし、手に取るとその内容の濃さに心がうずく。天童荒太はベストセラーになった「永遠の仔」以来8年ぶりにこの本を出版した。 変わった題名だ。読み進めていくうちに、頭の中ではこのような「悼む人」は、存在しないはずだと分かっていても、いや存在してもおかしくないのが今の時代なのではないかと思うようになった。先行きの見通しがつきにくく、自殺者3万人超が11年も続く時代に、生きるうえで何が大切なのかを、天童荒太はこの作品で私たちに問いかけているのだ。

 悼む人は、親友の死をきっかけに会社をやめて全国を放浪しながら事件や事故でなくなった人を悼むことを続ける坂築静人を軸に進んでいく。夫殺しの過去を持つ随伴者(同行者)の奈義倖世、無頼な生活を送る週刊誌記者の蒔野抗太郎、末期の胃がんに侵された静人の母・巡子の過去、現在の姿を通して、なぜ静人が悼む人になったかをつづっている。 まだ読んでいない読者のために、ストーリーの紹介は避けるが、天童が丹念に生と死について考えながらこの作品を書いたことは容易に想像できる。

 心に残る描写は少なくない。例えば、奈義倖世が静人と別れた後の場面では「倖世はその場に座り込んだ。昨日の雨でできた水溜りの隅に、静人の足跡が残っている。彼を想って見つめるうち、その足跡がいきなり光った。驚いて顔を上げる。彼方の山の稜線に、一点の光が現れており、みるみる大きく膨らんで、周囲の霞や雲を明るい紫色や桃色に染め、倖世に向けてまっすぐと、金色の光を運んでくる」 エピローグの最後の部分。

「そのとき、背後に広がる空と海との境界の、さらに彼方で輝く、先の世界とつながっているらしい光の奥から、激しく泣き上げる赤ん坊の声が聞こえてきた。巡子が去ってきたばかりの世界の、いま新しく生を得た命の、力強いうぶ声が、彼女の耳に、しかっりと届いた」

 この2つの場面を書くために、天童は多くのエピソードを作品にちりばめたのではないかとさえ思った。ストーリーは決して明るくはない。しかし、本を読み終えて気持ちは温かくなった。人間の尊厳が失いつつある時代にあって命のいとおしさ、人とのつながりの大事さを教えられた。托鉢の僧は別にして、現実には悼む人のような人物は存在はしないだろう。しかし心の内では、悼む人の存在を信じたいとも思う。