小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

393 いーちゃん・ユウちゃん 静かな町の少女の物語

  沖縄は桜(ヒカンザクラ)」が満開だった。機会があって中国の学生らと一緒に沖縄を回った。その中に、一人だけ際立って日本語が流暢な女性がいた。彼女は自ら通訳を買って出て、的確な表現で私を驚かせた。それもそのはずだ。彼女は幼いころ、兵庫県三田市で7年間も生活し、その後中国に両親とともに帰国したというから、基本的には日本語の方が得意なのかもしれない。

  彼女の名前は、陳一さんという。現在、中国の四川省成都にある四川大学生命科学院の3年生だ。彼女は、日本科学協会、人民中国、中国青年報が共催した日本に関する作文コンクールで最優秀に選ばれた2人のうちの1人だ。「カントリー・ロード」という題を付けた彼女の作文は、少女時代の日本の生活を描いていて、郷愁を感じさせる。

 「学校への道には大きな川があり、うっそうと茂る木々に覆われた寺がある以外は、これといった特徴もない。都会の喧騒からは遠く、こじまりとした古い住宅街や商店街から少しだけ歩くと、畑が広がっていたりする」。そんな静かな町で陳さんは一つ上の図書委員の由美子さんに出会う。2人はすぐに仲良しになり「ユウちゃん、いーちゃん」と呼び合い、少女時代の何年かを送る。

 「カントリー・ロード」(Take Me Home Country Roads)という歌もユウちゃんから教わった。陳さんが中国に帰国してからは、文通が続き、その後はメールのやり取りが年1、2回程度あったという。

  いつしか、陳さんは大学生になり、ユウちゃんは短大を卒業して就職した。そして、昨年5月、四川省を大地震が襲った。陳さんの大学は成都にあり、被害はほとんどなかった。しかし、余震や地震の混乱で彼女は疲れ、心細くなった。落ち着いてメールを点検すると、メールボックスには4通のメールがあり、すべて陳さんを心配するユウちゃんからのメールだったという。

  彼女は、返事を打とうとして、突然涙があふれた。陳さんは以下を次のように記している。

 「ユウちゃんに会いたい、と思った。うれしさよりも懐かしさよりも、ただ、会いたかった。会って、どれだけ時が流れても、遠く離れていても、心はつながっているということを、伝えたかった。涙をぬぐい、見上げた窓の外には、悲劇に似合わないほど澄んだ青空が広がっている。まるで、私の故郷である、あの町の空のような。ふいに、あの歌が聞こえるような気がした。なつかしい町に続く道を歌ったカントリー・ロードが」

  いま、陳さんは長い髪を肩まで垂らした感性豊かな文章を書く大学生に成長した。今回の旅では彼女が育った三田市近くにも足を伸ばす機会があったが、ユウちゃんは生まれ故郷から離れて住んでいるため、陳さんと会うことはできなかった。

  しかし心が通い続けている2人には、必ず再会の日がやってくるはずだ。その日、2人は「ユウちゃん、いーちゃん」と互いに呼び掛けるだろう。