小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

264 少年時代のひた向きさ 集中するということ

 佐藤多佳子の「一瞬の風になれ」が、多くの読者の支持を得ているのは、陸上競技にかける若者たちのひた向きさ、さわやかさが伝わるからなのだろうか。

  同じ女性作家・あさのあつこの「バッテリー」も、野球に対する少年の純粋な思いを追求しているから若者だけでなく、幅広い層まで圧倒的な共感を得ていると思われる。翻って少年時代、そうしたひた向きさを追うことができただろうか。

  最近、故郷に帰った。身内と酒を酌み交わす中で、中学時代の担任の先生がこの3月に亡くなったことを聞いた。この先生と過ごした苦しい日々は、私の人生で大きな比重を占める。それほどに成長期の私にとって大事な時期だった。

 先生に目をつけられたのはたまたまに過ぎない。英語と体育の教師だった先生は、中学3年の担任でもあった。体育の時間の長距離走(1500メートル)で、私は他のクラスメートを引き離して走り終えた。

  すると、先生は翌日から部員が私1人だけの臨時の陸上競技部をつくった。もともと彼は長距離選手として有名で、活躍を報じた新聞記事を見せられたこともある。暑い夏、マンツーマンでの練習は苦しかった。ペースも何も知らない私には先生の指導は耳に入らない。苦しさから逃れようとへとへとになりながら走り続ける毎日だった。

  県大会の予選に出た。種目はもちろん、1500メートル。トップの選手はあきれるほど速い。しかし、その後は何とかついていけると思った。練習で教えられたペースは忘れた。それが逆によかったのかもしれない。懸命に2位の選手の後を追い続け、結果的に3位に入った。

  後日、県大会に出場した。舞い上がった。予選でトップを走った選手について走ろうと思ったのが間違いだった。オーバーペースに陥り、次第にペースは落ち、結果は予選のタイムをはるかにオーバーし、私より遅い選手は1人だけしかいなかった。

  こんな私に先生は「よくやったな。集中していたぞ」と言った。陸上競技はこの後高校で少しだけかじってやめてしまった。しかし彼は、ことある度に私の進路を心配してくれたと、母から聞いた。

  中途半端な私に対して教師としての彼は、生きるうえで大事なことは物事に集中することだと教えてくれた。たしかにあの短い夏の間、夢中で走った。何を考えていたのか、もうほとんど思い出せない。思い出すことができるのは「集中していたぞ」という言葉だけである。この先生に教えられた「集中することが大事」という考え方は、いつしか私の人生の支えになった。