小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

230 冷静、実証的な東京裁判論 不毛な論争に一石

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東京裁判」と聞くと、「A級戦犯」「靖国合祀」という言葉を連想するはずだ。そして、戦勝国が戦争に敗れた日本の指導者を裁いたもので、到底受け入れることはできないという反発も強い。軍国主義を裁き、戦後の民主化のために寄与したという肯定論もある。 しかし、この本の著者の日暮吉延は「こうした論争は旧態依然としていて、紋切り型でときには誤った知見が繰り返されるばかりだ」と指摘する。

 1980年代以降、東京裁判に関して新しい事実がかなり発見されているのに、専門家の世界にとどまり、一般にあまり普及していないのが実情で、そうした資料を駆使して日暮は、東京裁判を冷静にしかも実証的に分析する本書を書き上げた。 巻末の引用文献、資料は内外に及んでいておびただしい。東京裁判を分かりやすく解き明かした一冊が開廷60年余を経て、ようやく上梓された感が深い。

 東京裁判A級戦犯として死刑判決を受け、東條英機元首相ら7人が絞首刑になった。さらに18人が終身禁固刑(16人)や有期の禁固刑(2人)を受けた。(病死者を除き、後に仮釈放)このほかにA級の容疑者が多数拘束されたが、裁判は行われず、後に釈放された。 首相としての東條は評判が悪いが、東京裁判では他の被告と比べ責任を回避せず、堂々たる論陣を張ったという。

 一方、仮釈放された荒木貞夫陸相らは「戦争責任は自分達にあらずして国民全体にある。もし国民が戦争を欲しなかったのであれば、自分達に反対すべきであった」と、指導者にあるまじき放言をした。これに対し、現在では考えられないことだが、当時の読売新聞が「服役中に悔悟し、国民に謝罪すべきである」と厳しく批判する論陣を張ったという。 戦犯問題は、戦後長く尾を引き、国際政治の駆け引きに使われた。そして日本が復興する中で、感情的な否定論が登場し、A級戦犯靖国合祀が重なり、問題は複雑化していく。

 そうした錯綜した経緯を著者は豊富な資料を駆使して分析、「東京裁判は国際政治そのもので、感情的にならずもっと冷静に考えるべきだ」と提案する。 朝日新聞の2006年の世論調査で70%が東京裁判を知らないという答えが出たという。多くの国民にとって東京裁判は遠い存在なのだ。その意味でも、著者の言うとおり、冷静な議論ができる時代になっているはずだ。(東京裁判講談社現代新書・1100円)