小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

398 人を裁く難しさ 江東の女性殺害事件の無期判決

  人間は残酷な動物だ。人間が人間に危害を加えることがいつになっても終わらない。殺人事件はもちろん、国家が絡んだ殺人の典型は戦争である。後者の方は、勝者が敗者の国民の多数を殺しても、罪に問われることはほぼない。前者はそうはいかない。しかし、その手口によって、問われる刑も異なる。

  手口が残忍であることで注目を集めた東京都江東区のマンションの女性殺害事件(昨年4月に発生し、被害者は23歳の会社員)の判決公判で東京地裁が検察側の死刑求刑に対し、無期懲役を言い渡した。「計画的ではなく、矯正の可能性もあり死刑は重すぎる」という理由だそうだ。

  この事件は、被告が強姦の目的で同じマンションの2つ隣の部屋の女性を殺害し、遺体を細かく切断してトイレから流して捨てるという残虐な事件だった。公判の過程で、検察側は切断されて捨てられた女性の肉片を大型ディスプレーに映し出し、衝撃を与えた。当然、検察側は死刑を求刑した。

  その判決は、無期懲役だった。従来の判例に従ったという意見を述べる専門家もいた。従来、1人の殺害では死刑判決はあまりないが、この事件の衝撃性を考えれば死刑判決を下してもおかしくはない。妥当性を欠いた判決だと指摘する学者もいる。

  担当した3人の裁判官は苦悩したに違いない。その緊張ぶりは、判決言い渡し前のテレビの映像で伝わってきた。3人の裁判官の間で、どんな議論がされたかは知るすべもないが、判決文(新聞報道)を読むと、死刑判決を避けようとした評議の内容が推定できる。

  刑事裁判に一般人が参加する裁判員制度のスタートまで100日を切った。このような事件にも当然裁判員が付く。それによって判決の中味も変わる可能性もあり、死刑判決が出たかもしれない。裁判員制度は、法律の専門家の中に庶民感情を入れることであり、専門家と感情に流されやすい庶民の意識のずれをうまく調整できるかどうか心配だ。