小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

200 首相の謝罪 気付くのが遅れたとは?

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「ご迷惑をかけて申し訳なかった。厚生労働大臣も反省している。みなさんのことに気付くのが遅れて申し訳なかった」。福田首相が今月5日、首相官邸で中国残留孤児の集団訴訟の原告らと面談した際、このような言葉で謝罪したと新聞に報じられた。

 新しい支援策を盛り込んだ改正中国残留邦人支援法が公布されたことを受けて、この面談が実現したという。率直な謝罪ではあるが、どうしてもっと早くこうした暖かい言葉をかけることができなかったのだろうか。新聞の記事を読みながら、そう感じたのは私だけではあるまい。

 仕事で厚生労働省になる前の厚生省をかなり以前に担当したことがある。当時「中国残留孤児」が肉親を探すために厚生省の招きでやってきて、代々木のオリンピック記念青少年センターで関係者と面接調査が始まり、この取材も担当した。時の厚生大臣は党人派の園田直氏で、孤児たちを前に「政府はあなたたちの肉親探しに全力を挙げて協力する。あなたたちは私たちの同胞なのだ」とあいさつして、孤児たちを感激させた。

 あれから何人大臣が代わったのかは知らないが、政府の対応は十分ではなかった。中国残留孤児に対して一応の対策はとったものの、孤児側からすると「日本政府は冷たい」という思いが強く、各地で集団訴訟に発展した。 代々木で会ったり、中国取材で知り合った多くの人たちがその後日本に帰国した。

 しかし、長い間中国で暮らした人たちは、日本語がうまく話せず、仕事も見つからない。「何のために日本に帰ってきたのか」と、嘆く生活が待っていたのだ。その閉塞感から心の病気になった人も少なくないと聞く。「自分たちは棄民なのだ」という思いがあったに違いない。だから、集団訴訟を起こした原告たちが国からの謝罪とねぎらいの言葉を求めていたのもうなずけるのだ。

 厚生労働省という役所に対する国民の目は厳しい。この何十年かの厚生行政を見ていると、常に「後手後手」というイメージしか浮かばない。それを裏付ける事例は枚挙にいとまがないほどで、ここであらためて書く必要はあるまい。そのツケは国民に回ってくるのである。福田首相謝罪記事を読んで、出会った人々の苦悩の表情を思い浮かべた。(写真は冬の羊蹄山、北海道の冨士ともいわれる)