小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

170 長い旅 足摺岬への道

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 朝7時に自宅を出て、高知県土佐清水市に到着したのは午後3時のことだった。所要時間は8時間。けっこうな長旅で訪れた四国の外れの街は、真夏の暑さが残っていた。 羽田まではバスに乗り、飛行機で高知空港(高知竜馬空港とも呼ぶ)へ。

 次にJR高知駅までまたバスに揺られ、続いて特急で四万十市の中村に。さらに駅前のレンタカーを借りて土佐清水まで1時間。こうして、目的の地にようやく到着したのだ。

 四国はお遍路さんのメッカである。9月の下旬とはいえ、30℃を超える厳しい残暑の中を歩くお遍路さんの姿が目に入った。熱中症にならないかと心配になる。それは大丈夫なのだろう。目的意識を持って歩いている人々なのだ。無理はせず、休みを取りながら旅をしているに違いない。 それと比べると、わが身は何と余裕がないのかと痛感する。

 この旅も、観光旅行ではないのだ。仕事のためにやってきたからだ。市内の竜串地区にある珍しい「貝類博物館」を訪ねた。女流設計者による合掌づくりの建物は、とてもモダンだ。中を見る。珍しい貝が数多く展示されている。 しかし、土曜日の午後なのに、入館者はいない。館内はひっそりとし、私の靴音しかしない。見学が終わって、近くの竜串海岸を歩く。日差しが強く全身から汗が流れる。

 しかし、海岸全体を覆う奇岩は、暑さを忘れさせてくれるだけの強烈な印象を私に与えてくれた。 博物館は、いま市から委託されたNPOが運営をしていて、結婚式もできるようにしたそうだ。音楽・ライブもやる。ただ、手をこまねいているわけにはいかないと、NPO関係者は話してくれた。過疎化だ、観光客が少なくなったと嘆くのは簡単だ。

 だが、何かをしなければ、このような立派な施設も廃墟と同じなのだ 足摺岬に近い松尾地区も、美しい自然という意味では竜串、足摺にひけをとらない。しかし、道路が狭くて観光バス乗り入れることができないという悪条件から、観光客の姿は少ない。ここでも、この現状から抜け出すために何ができるかと、活動を続ける人々がいた。

 元気あふれる人々だった。話をしていて、私の疲れはどこかに飛んでしまった。小さな船(遊漁船)に乗せてもらい、足摺岬灯台を海から眺めた。 つい少し前、ニュージーランドのミルフォード・サウンドで経験した船の旅とも共通する自然の景観のすごさに酔った。 四国の海は波が荒く、1時間後船着場に戻ると、同乗した何人かは船酔いを訴えた。

 私は自然の美しさに見とれ、船酔いをすることもなかった。泊まった小さな宿は木賃宿に毛が生えた程度の宿だが、お風呂もトイレも清潔で、朝食もうまかた。宿から紹介された食堂の夕食にも感心した。刺身とハンバーグの定食は上品な味だった。 東京から土佐清水は遠い。しかしいつか再訪したい地域の一つだと感じている。