小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

169 「ロッキード秘録」 政治とカネの原点

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政治とカネは、いつの時代でも議論の的になる。今回の安倍政権のわずか1年での崩壊も背景にはこの問題があり、戦後の政治の世界も同様だった。そして、顕著な例は「ロッキード事件」だった。 高度経済成長時代のまっ只中で起きたこの事件では「いま太閤」といわれた田中元首相に渡った賄賂は、5億円という庶民にはとても信じられない桁外れの金額だった。そして「巨悪」といわれたこの事件を追及したのが東京地検特捜部であり、この本は、巨悪追及に総力を挙げた検事たちの物語だ。 この事件の発端は、米国の上院多国籍企業問題小委員会の公聴会で、航空機メーカーのロッキード社が海外に政治献金をしているという実情を証言、その中に日本も含まれ、右翼の児玉誉志夫や総合商社の丸紅が介在していることを明らかにしたことだ。 この公聴会の模様を外電がフォローし、深夜日本の報道機関にも配信された。1976年(昭和51年)2月5日、午前1時過ぎのことである。私は当時、ある報道機関の社会部記者をしていて、この夜は泊まり勤務をしていた。そろそろ泊まりのデスクや記者たちからお金を集め、締め切り後の懇談のためのビールやつまみを買いに行こうかと思っていた。 そうした時間に外信部のデスクが社会部に急ぎ足でやってきた。ロッキード事件のさきがけとなる外電を手に持っていた。しかし、国内取材はもう間に合わない。とりあえず、外電をそのまま2面に掲載した。それは地味な扱いだった。だが、この記事は、日本社会に衝撃を与える事件に発展するのではないかと、泊まり勤務の私たちは思ったものだ。 それは間違いではなかった。以後、各報道機関の調査報道が続き、東京地検特捜部も事件の解明に立ち上がった。特捜部と当時の検察の動きを追ったのがこの作品である。「今太閤」といわれた田中元首相がターゲットになった。しかも5億円ものカネを、商社の丸紅を通じてロッキード社から受け取ったという疑惑を解明するために、検察は総力を挙げる。作品は丁寧な取材で検察の当時の動きを追った内幕ものだ。 当時の私は社会部の新米記者として、デスクの指示のままに動き回っていた。しかし、次第にロッキード事件が取材の中心となり、関連取材の指示が増えた。事件のキーマンといわれた東京・等々力の児玉誉志夫の邸宅を張り込むのも重要な仕事になった。検察の口は固く、捜査の進行状況がつかめない。だから要所に張り込んで、検察の動きをつかもうと、各報道機関とも同じように若手記者を張り込み要員に指名した。 24時間の張り込みだが、5、6時間で交代する。児玉邸の出入りをチェックし、逐一デスクに報告する。黒塗りのハイヤーが入れば、そのナンバーを調べる。児玉の主治医の医者は、すぐに分かる。右翼の大物もよく出入りした。さらに特捜部もやってきた。こうした中で楽しみは庶務の人が届けてくれる弁当だった。いまに比べると、庶務の人たちも工夫をしていろいろな弁当を届けてくれた。各社の弁当が週刊誌に載った。 あれだけ騒いだ事件。政治家はカネの問題で懲りたはずだった。しかし、安倍政権時代は、そのカネの問題が次々に起きて、安倍政権は崩壊した。 ロッキード事件は、政界では教訓にならなかったのである。その後、リクルート事件が起き、竹下首相が退陣した。たまたま私はこの事件も担当した。 この経験から、日本の政治構造は「カネ」がいまでも基盤なのだと思わざるを得ないのだ。政治家は、国会議員という肩書きを守るためにあらゆる手段を講じてカネ集めに奔走する。国会議員とは、それだけ魅力があるのだろうか。そうした政治風土を生み出したのは、実は私たち国民である。こうした現状にある政界を浄化するにはどうすべきか。若者たちの声が一番大切だと思う。