小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

587 いのちを守りたい、と言いながら 自殺者3万人の現実は

画像 鳩山首相の施政方針演説をテレビで見た。いきなり「いのちを守りたい。いのちを守りたいと願うのです」と語りかけた。格調高い演説の始まりを聞いて期待した。 気の早い私は、ああそうか12年連続している自殺者3万人以上という、日本の現状をどう打開するのか、その具体論を話すのだなと思った。

 しかし、鳩山首相の口からは、そうした話は出てこなかった。 鳩山首相の演説は続く。「生まれてくるいのち、そして、育ちゆくいのちを守りたい」と。。昨日、鳩山首相には2人目の孫が生まれたというから、なるほど「生まれてくる」や「育ちゆく」は、実感がこもっているように思えた。

 さらに、子ども手当民主党マニフェストの目玉であるため、冒頭からそれを印象付けようと、ことさら「いのち」を前面に打ち出したのだろう。 かなり後で、働く世代について「働く人々のいのちを守り、人間を孤立させないために、まずは雇用を守ることが必要です」と語ったが、働く世代以上の人たちが自ら命を絶っていることには、全く触れなかった。

 私は、鳩山さんが「いのち」というからには、昨年までの12年連続で自殺者が3万人以上という日本の閉塞社会の現状をどう政治家が考えているのか、知りたいと思った。 警察庁の発表によると、昨2009年の自殺者は、前年より504人多い3万2753人で、男女の内訳は男性が前年より575人多い2万3406人、女性は同71人少ない9347人だったという。

 1998年に初めて3万人を超えて以来、3万人を下回ることはない。 かつては交通事故の死者の方が自殺者より多い時代があったが、しかし交通事故は9年連続で減少し、その数は自殺者より大幅に少なくなった。09年は4914人であり、シートベルトの義務化などの対策が功を奏しているようだ。

 自殺は、この世の苦しみから逃れる手段なのだろうか。生きる上で行き詰まり、自殺を考える人々が多数存在する社会は、どう考えてみてもいびつである。経済的に行き詰まったり、あるいは病になったりしてこれからのことが不安になり、死への誘惑に負けてしまうという人々があまりにも多い社会になってしまった。

 そうした人々に手を差し伸べるのも政治の責任ではないか。しかし、政治家は政争に明け暮れ、自分たちのためにしか物を考えない。だから、「いのちを守りたい」と言いながら、多くの命を「自裁」という手段で失っているのだ。国会でくだらないヤジに明け暮れる政治家には、そうした現実は分かっていないのだろう。その象徴が、鳩山首相の抽象的演説だった。

 (写真は四国・足摺岬灯台。記事とは無関係です)