小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1132 ベトナム・カンボジアの旅(6) ハロン湾紀行

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 私の部屋に何枚か写真が飾ってある。その1枚は、かつて旅したことがあるニュージーランド世界自然遺産・ミルフォード・サウンドで撮影したものだ。NZ南島のフィヨルランド国立公園にあるスケールの大きなフィヨルドだ。

 その写真の隣に今回の旅で撮影したベトナムハロン湾の写真を飾った。甲乙つけがたい自然の美を見ながら旅の出来事を思い出している。 ハロン湾は、首都ハノイから車で約3時間半のベトナム北部にあり、大小3000もの奇岩や島があるという。

 ベトナム戦争で米軍による北爆のきっかけになったトンキン湾事件の舞台であるトンキン湾北西部に位置する。かつて中国がベトナムに攻めてきた際、竜の親子が現われて中国軍を破り、口から吐き出した宝石が湾内の島々になったという言い伝えが残っているそうだ。

 ハロン湾世界自然遺産に登録されたのは1994年(同年、京都が古都京都の文化財として世界文化遺産登録)のことで、ハロン湾ベトナムの代表的観光地になっている。ハロン湾世界自然遺産に登録されたのは「ひときわすぐれた自然美及び美的な重要性をもつ最高の自然現象または地域を含むもの」「地球の歴史上の主要な段階を示す顕著な見本であるもの。これには生物の記録、地形の発達における重要な地学的進行過程、重要な地形的特性、自然地理的特性などが含まれる」―という2つの要件があった クルーズ船に乗り、心地よい風に吹かれながら湾の風景を見ていると、たしかにここは世界遺産にふさわしい場所だと思った。

 ガイドブックには「海の桂林とも称される」と紹介されており、桂林と同様、水墨画の世界に迷い込んだような感覚を持つことができるはずだ。しかしベトナム戦争当時、ハロン湾は武器を輸送する重要なルートとして使われ、米軍から激しい爆撃にさらされ、犠牲者が続出した。奇岩群の洞窟に身を隠して助かった人たちもおり、その人たちは竜が助けてくれたと感謝の気持ちを抱き続けているという。

 ベトナム戦争で命を失ったベトナムの人々は200万人以上といわれる。それだけでなく、米軍による機雷、枯葉剤の後遺症はいまも続いている。そして、理不尽にもこの戦争で命を失ったおびただしい人たちの魂はいまも彷徨い続けていると聞く。「幽霊伝説」がベトナムの各所で聞かれると、ガイドが話してくれた。ハロン湾にある島の一つ、タウゴー島には世界遺産の鍾乳洞・ティエンクン(天宮)がある。

 高さ20メートル、幅は数10メートルでそう大きくはないが、内部の美しさはこれまで見た中では群を抜いていると思った。一部分に穴が開いていて空が見えるため、こんな名前が付いたのだとか。ベトナム戦争当時、ここも避難民の隠れ場になり、避難民たちはこの穴から差し込む光を見ながら米軍機の爆撃音を聞いていたのだろうか。

 ハロン湾には、水上生活者の家もあり、これらの人たちが船を操って、観光客が乗った船に魚介類を売りにやってくる。その操船ぶりは見事で、いつの間にかこちらの船に近づき、魚介類を持ってきた2人が乗り込んできたのには驚いた。鍾乳洞のあるタウゴー島の船着き場では観光船が押し合いへし合いの状態で、そこを抜け出すために他の船とぶつかりながら強引に進むのだが、他の船から文句は出ない。

 それがルールなのかもしれない。

 

 7回目最終回へ

 

  写真はハロン湾にそそり立つ奇岩 以下の写真 1、2、多数の観光船で押しよせるタウゴー島の船着き場 3、幻の鍾乳洞入場券(なぜか帰る際に回収されてしまった) 4、一部光が差し込む鍾乳洞 5、観光船内では食事サービスが 6、漁業で暮らす水上生活者の家

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