小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

56 へそ曲がりが好き2

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 世の中には、へそ曲がりはいるものだと思う。しかし、そうした人の方が実はまっとう(健全)な精神状態を保持しているのある。 この本の著者の中島義道電通大教授も、へそ曲がり人種の1人といえよう。中島教授の目から見ると、この日本の街はあらゆるところで醜いのだ。

 日本人は欧米人に比べると繊細であり、美しいものに敏感なはずだ。 しかし、日本中の至るところに醜い事象が噴出しているのに、多くの国民がそれに気付かず、醜さを告発する市民運動も盛り上がることはない。 中島教授は孤軍奮闘ながら、街を歩いていて醜い事象(歩道に溢れた商品や耳をつんざく騒音)の原因をつくる相手には猛烈な勢いで注意を促す。電通大のある調布市には特に厳しい矛先を向けた。

 このような例はきりがないほど全国にあふれているだろう。首都圏で電車の窓から町並みを見て、美しいと思うところはそう多くはない。 この本は、醜い日本の光景に対し、中島教授の怨念を思い切り吐露した胸のすくような警世の書だ。

 大学でも対立する教授に徹底して討論を挑む姿には爽快さを覚える。 こうした行動に共鳴すること自体がへそ曲がりの仲間と思われるかもしれない。それはそれでいい。この本を読んで、繊細なはずの日本人は、実は鈍感な国民なのではないかと疑ってしまうのだ。