小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1623 絶望の淵に立たされても 2つのエピソード

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 若い友人が書いた中編小説を読んだ。必要に迫られて書いたという作品を読んで、以前に見た小さな展覧会の絵を思い出した。それは、小児がんの子どもたちの絵画展だった。あれからもう10年になる。それは私にとって「命とは何か」を考えるきっかけとなる重要な時間だったのだ。  

 友人の小説は音楽を通しての兄と弟の祈りと希望をテーマにしている。白血病に侵された弟を励ますため兄は一度捨てたヴァイオリンの道を再び歩み始め、弟も次第に回復していく物語だ。挫折を乗り越えようとする若者の青春の息吹を、友人は造詣の深い音楽シーンを繰り返し挿入しながら作品を展開している。これ以上は内容に触れないが、この小説から「絶望の淵に立たされても、人は希望を見出すことができるのだ」というメッセージが伝わってくるのだ。  

 小児がんの子どもたちは、両親や家族とともに絶望の淵に立った。だが、希望を持ち続けたことは言うまでもない。それは冒頭の小児がんの子どもたちの絵に表れていた。その一枚に石川福美ちゃんという8歳11か月で亡くなった少女の絵があった。  

 私は2008年11月14日、千葉市の埋め立て地帯に出現した幕張新都心の中心にある幕張メッセで開かれた小さな展覧会「小児がんと闘う子どもたちの絵画展」(主催・財団法人がんの子供を守る会)をのぞいた。福美ちゃんは急性の白血病で入院していた静岡県伊東市の病院でいろいろな人の悩み事相談に乗った。その時の絵(ポスター)がこの絵画展に展示されたのだ。それには以下のようなことがイラストと文字で書かれていた。

「皆さん悩みってどこで作るのでしょう。知ってますか、それは心と気持ち!たった2つの見えないものがそんないやなものを作ってしまうのです。時によってうれしい幸せを運ぶことも、どんな悩みがあっても隠さずに言ってください。悩みを1つ抱えると、10個、20個、悩みが増えますよ。人生1つ、命1つ、悩みや困ったことを抱えて生きるのはもったいない。せっかくもらった命だから、楽しく、悩みや困ったことのない人生に」  

 相談に対する福美ちゃんの回答。  

 小児がんの子供の母親の相談。「お金が貯まらなくて困っているの」——答え「バスに乗ったつもりで歩き、つもり貯金をしましょう」  

 がん病棟の医師の相談。「仕事が忙しくて困っています」——答え「高い給料をもらっているのだから、忙しくて当たり前。文句を言うな」  

 同じく看護師の相談。「犬が夜吠えてうるさくて困っています」——答え「昼間ずうっと運動させて絶対に休ませなければ、夜は疲れて眠るから吠えません」  

 福美ちゃんと同じ部屋にいた結城桜ちゃんは、福美ちゃんが骨髄移植のため無菌室に入る際、「ふくちゃんおうえんしてるよ」という絵を描いた。それも、福美ちゃんのポスターの隣に展示されていた。福美ちゃんは8歳11ヵ月、桜ちゃんは6歳6ヵ月という短い生涯だったという。家族の悲しみを考えると、私はやり切れない気持ちになった。だが、ユーモアあふれる答えを改めて見直して、福美ちゃんは精一杯生きたのだと思った。  

10年前のことだが、あの日の感動はいまも忘れない。友人の小説は、それを追認させてくれたのだ。きょう、友人が所属する市民オーケストラの定期演奏会を聴いた。684回目というから、伝統のオーケストラなのだろう。

 曲目は近衛秀麿編曲の「越天楽」、バーンスタイン作曲の「『キャンディート』序曲」、ガシュウィン作曲「ラプソディー・イン・ブルー」、ドヴォルザーク交響曲9番「新世界より」だった。いずれもなじみのある曲だった。

新世界より」は、第2楽章の「家路」の旋律が学校の下校時に流れるほどだれでも知っている。だから、音楽評論家の吉田秀和は「ひとなみに一時期は好んできき、それから、あきてしまった。その後は、もう、何十年も、ろくすっぽ、きいていない。何かの調子でラジオか何かできこえてきても、スイッチをきってしまう。あんまり通俗化してしまったので、きいても少しも楽しくならない」(新潮文庫『私の好きな曲』より)と酷評する。  

 そうだろうか。市民オーケストラのメンバーは友人も含めて全力投球していて、その一途さが伝わってくる。通俗の意味は①一般向きで、誰にも分かりやすいこと②高尚でないこと。興味本位であること―だという。吉田のこの曲に対する評は②に比重を置いているのだろう。だが、友人のオーケストラのこの日の演奏は①であり、聴いていて心が晴れる気持ちのいいものだった。特に指揮者の前の男性のチェロ奏者が目についた。体全体を使い、演奏を楽しんでいるように見えた。その動きは明日への活力を与えてくれたのである。