小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1751 聖書と日本の政界 北の空を凝視する風見鶏

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 近所に地区の集会所があり、屋根に風見鶏の飾り物が付いている。風見鶏は鶏をかたどった風向計・魔除けのことで、ヨーロッパでは教会や住宅の屋根に取り付けられていて珍しくないという。だが、周辺ではここ以外にあまり見かけない。神戸あたりは多いのかもしれない。なかなか風情があるのに日本では「政界の風見鶏」というように、芳しくない意味に使われ、風見鶏にとって迷惑なことに違いない。最近もこの言葉を連想させるニュースに接し、気分が悪くなった。  

 百科事典には、教会で風見鶏を付けるのは、「キリストとの関係を3度否認したペトロ(ペテロともいう)を目覚めさせた雄鶏の記念という」(マイペディア)とある。ペトロはキリストの最初の信者。十二信徒の代表格といわれ、ローマ帝国の暴君ネロによって殉教した。手元にある聖書を見ると、ペトロとキリストの関係が記されていた。それによると、キリストは最後の晩餐の際、ペトロに対し「あなたは今夜、鶏が2度鳴く前に、3度私のことを知らないと言うだろう」と離反を予告した。実際にキリストが捕まったとき、ペトロは鶏が1回鳴いている間に3回関係を否定し、鶏が2回目に鳴くとキリストの言葉を思い出し、羞恥のために泣き出したという。  

 ペトロを改心させた鶏を記念しているわけだから、風見鶏は意義ある存在なのだ。だが、日本の政界では元首相の中曽根康弘氏を「政界の風見鶏」と呼んだように、この言葉の好感度は高くなかった。風見鶏は風の方向によって向きが変わるから、定見を持たず政治の流れ・風向きで都合のいいように政治姿勢を変える人物をこうした言葉で揶揄したのだ。首相になることを最終目標にした中曽根氏は、権力を握るためには手段を選ばなかった。権謀術数の限りを尽くし、仲間を裏切り、主張も平然と変え、いつしか日本の最高権力者になり、「大勲位」とも呼ばれる存在になった。  

 中曽根氏のように、政界では「風見鶏」といわれる人物は少なくないようで、旧民主党民進党の幹部として自民党と対決姿勢をとっていたはずの衆院議員(名前を書くことはばかばかしいので控える)もその一人といえる。自民党の大派閥に入り、これから自民党入りを目指すといニュースが話題になっている。政界でどこにも相手にされなくなった結果、こうした動きに出たのだろうが、ペトロと違い羞恥心をなくしたこの議員の行動に、一票を入れた有権者も驚いているに違いない。この政治家の行動は、市民の政治嫌いが増える要因になるだろう。  

 さて、近所の風見鶏は高さが50センチくらいで弓矢の上に乗り、頭を北に尾を南に向け口を開けている。地域のシンボル的存在だ。固定されていないから、風の方向によって今は北向きなのだろう。2月の寒い風の中でも平然と北の空を見続けるその姿勢からは時を告げるかのような、力強さを感じる。それは、無定見な行動をする人間たちを戒めている雰囲気さえ漂っている。