小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1945 トランプ氏は「魚を与える」人? 出典は何か

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「トランプのやっていることを見ていると、『魚を与えるのではなく、魚の捕り方を教えよ』ということわざを思い出したよ」。テレビで米大統領選の投開票直前の特集番組で、白人男性がこんなふうに、トランプ大統領の4年間の政治について語っていた。含蓄のある言葉だが、出典は何だろうか。老子の言葉という説もあるが、裏付けるものはない。

 これは「授人以魚 不如授人以漁」という中国語のことわざが語源だという。「飢えている人に魚を捕ってやれば一日は食べられる。魚の捕り方を教えれば一生食べることができる」という意味だ。「知識は力」であることがこの言葉から伝わる。テレビのインタビューに応じたアメリカ人がこの言葉を引用し、トランプ大統領の政治は魚を捕ってやるという手法で、広い視点、長期的展望、公平性とは程遠い、自分本位にしか見えないと言いたかったようだ。この男性の言い分は、これまでの報道を見る限りでは間違っていないと思うのだが……。

  この言葉の語源は何だろう。ネットを検索するとかなり出てくるのは、2500年前の中国春秋時代にいたとされる哲学者、老子の言葉という説だ。しかし、さまざまな老子関係の本や百科事典・辞典を見ても、老子出典説を裏付ける記述はない。私の手元にある本も同様だ。老子説を信じている人たちは、どこに出典を求めたのだろうか。中国の検索エンジン百度百科」でもこの言葉の解説の中で注意書きがあり、老子説を否定している。ただ、この言葉は中国の最高指導者、習近平氏も好きらしいのか演説に何度も使っており、日本でも田中角栄元首相が演説の中に盛り込み、現代アメリカ人もことわざとして使っているから、世界に広く流布されているのだろう。

  インターネットの普及によって、物事を簡単に調べることができる時代になった。ただし、その真偽を判断するのはなかなか難しい。ウェキペディアも参考文献が記されていない記述に対し、注意を喚起している。「フェイクニュース」という言葉が一般的な時代である。権謀術数が渦巻く政治の世界では、うそがまかり通っていた。その非常識が昨今は、他の分野まで広がりつつあるように感じる。

  ところで、丸谷才一の『文章読本』(中央公論)を本棚から取り出して頁をめくっていたら、日本語の文章で一番害なのは「である」と指摘しているくだりがあった。

 「あれは下手な候文に似てゐて、しかも伝統がないだけもつと醜い。『である」をべたべた貼りつけて何となく立派な文章を書いたつもりになつてゐる態度を改めれば、それだけでも、日本の文章の水準はずいぶん向上するのではなからうか」

  新聞の文章では「である」は絶対に使ってはいけないと、指導されたことを思い出した。だが、私自身、何気なく使ってしまっている。それにしてもインターネットに溢れるトランプ氏に代表されるSNS言葉を見たら、丸谷はどう思うだろうか。卒倒するかもしれない……。

 

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