小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1335 春の声が聞こえる? 2月生まれの季節感

 

画像

 暦の上では立春が過ぎて「東風凍を解く」(暖かい春風が吹いて、川や湖の氷が溶け出すころ)季節である。実際には1年で一番寒い時期が続いている。霜柱が立ち、朝歩いていると、耳が痛くなるほどだ。西の空には欠け始めた月が見える。

 しかし、夜が明けるのが次第に早くなり、「光の春」が近づいていることを実感する。 ====  いつもの公園のラジオ体操参加者は、数えてみたら私を含めて13人しかいなかった。散歩の途中に加わったらしい1人は第1体操が終わるといなくなり、第2体操のときは12人になっていた。

 夏は40人ぐらいいるからさびしい限りだ。風邪やインフルエンザが猛威を振るっているというから、顔を見せない人たちが寝込んでいないだろうかと心配になる。  

 詩人の大岡信は「現在の暦でいうと、2月は一番寒い季節だと思います。その寒い季節の真ん中である2月16日が、ぼくの生まれた日です。高倉健さんは、ぼくと完全に同年同月同日(1931年2月16日」の生まれなんです。ぼくは2月生まれということからくる一種独特の『2月』に対する感覚があります」(『瑞穂の国歌』)と、2月という季節に対する思いを書いている。

 大岡と高倉の年代とは相当隔てているが、私は同じ日に生まれた。そして大岡信同様、2月に対する独特の感覚がある。大岡は「そのころに霜柱が立ち、土が浮き上がってくるくらいに寒くなって、氷柱もいっぱい下がっているような、そういう季節に生まれたという思いが、ぼくにはあるわけです」と記している。

 私は「真っ白い雪が家の屋根を埋めるほどに積もり、道路はツルツルに凍っていた日の早朝に生まれた」と母から聞かされた。それが私の2月の印象、感覚になっていて、2月になると雪が降ることをひそかに待望したりする。  

「この道しかない春の雪ふる」。無季自由律俳句(句の中に季語を入れない)の種田山頭火の句集『草木塔』の「旅から旅・長門峡」に収められている一句である。ひたすら歩いている山頭火の頭上に、春の雪が降りしきる光景が想像できる。この冬は、我が家周辺ではまだ積雪はない。暖冬なのだろう。雪を見ないままに冬が過ぎていく。