小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1947 政治は国民を指導し取り締まるもの? 辞書作りは盤根錯節

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 時々、辞書の頁をめくる。結構面白いことが載っている。最近、アメリカの大統領選挙、日本の学術会議委員任免拒否問題が連日新聞に載っている。いずれもが政治ニュースだ。そこで、「政治」について辞書を引いてみる。中にはユニークな説明もあり、考えさせられる時間を送ることになった。

「政治」の説明で目を引いたのは、新明解国語辞典三省堂)だ。「住みやすい社会を作るために、当局者が立法・司法・行政の諸機関を通じて国民の生活を指導したり取り締まったりすること」とある。  広辞苑岩波書店)はどうか。「①まつりごと②人間集団における秩序の形成と解体をめぐって、人が他社に対して、また他者と共に行う営み。権力・政策・支配・自治にかかわる現象。それ以外の社会集団および集団間にもこの概念は適用できる」。  

 次に旺文社の国語辞典。「①国家を治めること。主権者が立法・司法・行政などの諸機関を通して国家の統一をはかり国民の生活を守ること。まつりごと。②集団における権力の獲得・維持や、それを行使する活動に関係ある現象」。明鏡国語辞典(大修館書店)。「主権者が司法・行政・立法の各機関を通じて国を治め、運営すること」。この2冊は分かりやすい。「国民の生活を守ること」という旺文社の説明は一番適切ではないか。  

 広辞苑は他の辞書に比べ難解。しかも具体的に「国を治める」ということに触れていないのは不親切だ。逆に、新明解の前段はいいが、後段の「指導したり取り締まったりすること」という説明は、踏み込み過ぎではないか。自分たちの生活の指導を国から受けていると思っている国民はどれだけいるだろうか。また、普通に生活をしていれば、取り締まられることはないから、この解説はどう見ても当局側の目線で書かれているように思ってしまう。あるいは、こうした上から目線の政治家が出てくることを予測して書いたのか……。  

 井上ひさしは『ニホン語日記②』(文藝春秋)でこの辞書について「怪事件」として面白いことを書いている。この辞書には「進展」という言葉の意味を「事件が進行し、局面が展開すること、俗に、進歩・発展の意に誤用される」と書いてある。これに対し京都のやくざの幹部と名乗る男が難癖をつけたのだ。

広辞苑には『進歩・発展すること』と書いてあり、学研の国語大辞典にも『事件などが進行し、局面が展開すること、また物事が進歩し発展すること』とある。おまえのところの辞典で育った青少年は進歩・発展するという意味を表すときに進展が使えなくなるではないか。京都から30万円持って東京にきたが、全部なくなってしまった。ホテル代も払えない、どうしてくれる」と、金を要求した。

 これに対し三省堂は、会社更生法中であることを理由に男を退散させた。だが、男は半年後、再び三省堂の本社に現れ、持参した額入りの書を辞書の編者に買い取らせるよう要求して社内で暴れたため、警察に逮捕されたというのだ。  

 井上は「進展」に絡んだこんな事件があったことを紹介するとともに、様々な言葉を引いた結果に触れ、新明解は「しつこい」「おもしろいけれど、なんだか変な辞典である」と記している。たしかにこの辞書は、特異な説明が目に付く。例えば、アパートは「(共通の出入り口がある)現代風の棟割長屋。普通、管理人が居る」で、マンションは「スラムの感じが比較的少ないように作った、鉄筋のアパート式高層住宅」とある。  また「男」は「人間のうち、雄としての性器官を持つ方[狭義では、弱いものをかばう、積極的な行動を持った人を指す]」で、「女」は「人間のうち、雌としての性器官を持つ方[狭義では気が弱く、心やさしい、決断力に欠けた消極的な性質の人を指す]」――とある。どう見ても、狭義の部分は余計でないか。(この辞書は近く第8版が刊行されるという。このブログは、手元にある第3版を基に作成したものです)  

 日本初の近代的国語辞典「言海」を編纂した大槻文彦は、その作業を「盤根錯節」(ばんこんさくせつ。曲がりくねって地を這う木の根と入り組んだ木の節のこと)という言葉で表現した(高田宏『言葉の海へ』新潮社)。中国の古典が由来のこの言葉は、物事が複雑に入り組んでいて解決が困難なことを指すそうだ。政治という言葉一つだけでも各辞書に微妙な違いがあるように、辞書作りは盤根錯節を伴う、根気と熱意が必要な労苦の多い領域なのに違いない。  

 追記 このブログは、手元にある辞書を基に書いた。新明解は1982年9月発行の第3版だが、その後新明解の内容は変化があったのだろうか。図書館で調べてみたら、書き換えられていた。言葉や価値観は時代と共に変化するから、辞書作りはまさに盤根錯節なのだろう。2012年3月発行の第7版大字版の内容を以下に紹介する。(今月中に第8版が発行される予定だ)  

 政治 住みやすい社会を作るために、統治権を持つ(委託された)者が立法、司法、行政の諸機関を通じて国民生活の向上を図る施策を行なったり、治安保持のための対策をとったりすること。(注・さすがに、指導や取り締まりという言葉は消えていた)  進展 事件が推移し、局面が展開すること。(注・進行を推移に直し、「俗に、進歩・発展の意に誤用される」は消えているから、やくざの言いがかりを気にしたのだろうか)  

 アパート 共通の出入り口がある現代風の(2階以上ある)棟割長屋。(注・カッコの説明を入れ、「管理人が居る」を消している)  

 マンション 高級性を指向した高層アパート型の集合住宅。(注・スラムの感じが……を、高級性を指向に直している)  

 男 狭義以下は、弱い者をかばう一方で、積極的な行動性を持った男性を指す。(注・人を男性に直している)  

 女 同、心根がやさしくて決断力に欠ける一方で、強い粘りと包容力を持つ女性を指す。(注・気が弱くを心根がやさしくに直し、強い粘りと包容力を持つを入れ、人を女性に直している)

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 写真 1、房総の秘境・四方木不動滝(千葉県鴨川市四方木) 2、養老渓谷の2階建てトンネル(千葉県大多喜町の向山トンネル)