小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1875 『ヴェニスに死す』を読む 繰り返される当局の愚行

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 ノーベル賞を受賞したドイツの作家トーマス・マンの『ヴェニスに死す』(1913年作)は、50歳になった主人公の男性作家グスタフ・アッシェンバッハが旅行で滞在していたイタリア・ヴェニス(イタリア語ではベネチアヴェニスは英語読み)で、ポーランド貴族の美しい少年、タッジオに惹かれるという同性愛をテーマにした中編小説だ。映画化もされ、マーラー交響曲5番第4楽章アダージェットがテーマ曲として使われた。主人公は滞在先のヴェニスコレラによって不慮の死を遂げるのだが、新型コロナウイルスによって街全体が封鎖された現在のヴェニスとなぜか二重写しになる。

 先日、NHKのBS放送で「そして街から人が消えた~封鎖都市・ベネチア(NHKの表記)~」という特集番組を見た。世界中から多くの観光客が集まる、ヴェニスの仮面カーニバルの最中に新型コロナウイルスの感染が拡大し、街が封鎖されるまでを丹念に追ったドキュメンタリー番組だ。NHKの番組案内には「カーニバルは突如中止。だが感染の勢いは止まらず、3月8日ベネチアは封鎖され、街から人が消えた。じつはベネチアは、14世紀に疫病ペストの大流行に耐え、街を復興させた歴史を持つ。人々は新型コロナをペストの悲劇と重ね合わせ、どんなに辛くとも前を向こうとしていた。その一部始終を記録した」とあった。災厄に襲われたヴェニスの変わりように、このウイルスの怖さを感じたのは、私だけではあるまい。

 『ヴェニスに死す』の主人公アッシェンバッハは、 ミュンヘンから最初はアドリア海沿岸の保養地に出かける。しかし、そこに嫌気がさしてヴェニスへと移り、ホテルで長期滞在している上流階級のポーランド人家族と出会う。家族の中には10代初めと思われる息子タッジオがいた。その美しさに惹きつけられたアッシェンバッハは、海辺で遊ぶタッジオ少年の姿に見入るが、さらに後をつけたり家族の部屋をのぞきこんだりする。現代でいえば、ストーカー行為のようなものだ。

 ある時、彼は滞在しているヴェニスの街中で人が次第に少なくなっていく変化に気付くが、だれも真相をなかなか教えてくれない。ようやく、それを教えてくれたのはサン・マルコ広場に近くにあるイギリスの旅行案内所のイギリス人店員だった。彼が言うには数年前からインドで蔓延していたコレラという妖怪が地中海周辺にも拡大し、ヴェニスでも5月のある日、青物売りのやせ衰えた黒ずんだ死体の中に螺旋菌(コレラ)が見つかった。しかし当局はこれを秘密(沈黙と否認の政策を粘り強く維持させた)にしたが、疫病は次第にヴェニスの街に拡大したのだという。これに憤慨した衛生当局の最高幹部は辞職し、後任にはこの政策に従順な人物が就任した。この結果ヴェニスコレラ感染が拡大し、道徳的荒廃=不節制、厚顔無恥、増大する犯罪=に見舞われる。 

  新型コロナウイルスは、中国・武漢が発生源といわれる。その武漢でも『ヴェニスに死す』と同様の政策がとられたことは、ここで書くまでもない。小説の中の辞任した衛生当局幹部と重なるのは、武漢市中心医院の眼科医だった李文亮氏だ。李医師は中国政府が新型コロナウイルスによる感染症を公式に認めていなかった2019年12月30日、同僚の医師たちに注意喚起する目的で「市場で7人のSARS(重症急性呼吸器症候群)感染が確認された」などという情報をSNSのグループチャットに発信した。

 ところが、年が明けた1月3日、地元の武漢警察に出頭を命じられ、「虚偽の内容を掲載した」として訓戒処分を受け、その後も武漢市当局はウイルス性肺炎が「拡大を防げる」「人から人への感染は確認されていない」などと説明を続けた。しかし中国各地や国外に感染が広がり、人から人への感染も確認されたため、1月23日午前10時からすべての公共交通機関の運行を停止し、事実上武漢市を封鎖する措置をとった。遅い動きだった。

  その後、李医師はコロナに感染、2月7日に亡くなってしまった。後に、李医師の処分は撤回されるが、行政のコロナ隠しの典型といえるし、トーマス・マンの小説と同様、行政当局が愚行を繰り返していたことが感染拡大につながったとする見方が強いのだ。

 小説の後半に触れる。コレラの発生を知ったアッシェンバッハは、一度はヴェニスを離れようとするが、荷物が行き違いになってしまったため再びホテルに戻ってくる。滞在客が去って閑散とする中、美少年から離れたくないという心情が抑えきれず、そのままズルズルと日を過ごす。タッジオと家族がヴェニスを離れる日、アッシェンバッハは皮肉にもコレラに感染し、死んでしまう。いかにもむなしい死である。ドイツの作家らしい理屈っぽい表現がなじみにくいが、普段は強い意志を持って生きていたはずの初老の小説家が、旅先で出会った美少年に心を奪われ、それ故に破局を迎えるというストーリーは、映画的でもある。

  新型コロナで亡くなった人々の最後も同様に悲しい。医療関係者は別にして、家族に看取られることなく旅立つことを余儀なくされている。志村けんさん、岡江久美子さんもそうだった。それはだれもが望んでいないことである。いま現在の世界のコロナ感染者は319万4523人、死者は22万7659人(米ジョンズ・ホプキンス大学まとめ。日本時間4月30日午後2時現在)で、今後感染者はどこまで増えるのか、予測はつかない。

 いま私は映画に使われたマーラー交響曲5番第4楽章アダージェットをCDで聴いている。弦楽器とハープだけで演奏されたこの楽章は、直前に作曲されたフリードリヒ・リュッケルトの詩「私はこの世から姿を消した」が原型といわれる。この詩の終わりは以下の通りだ。

 

  私はこの世の喧騒を捨てて死に

  静かな国にやすらう。

  私はただひとり私の楽園に生きる、

  私の愛、私の歌のなかに。 

  (DENON「インバル・マーラー交響曲全集 交響曲5番解説」より・酒田健一訳)