小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

984 東電の非常識 受刑者への賠償と浪江町へのでたらめ回答

 

福島第一原発事故をめぐって、東京電力が福島刑務所の受刑者80人余に1人当たり8万円の賠償金を払っていたというニュースを産経新聞の報道で知った。受刑者といえども、同じ人間である以上、法的には賠償金をもらってもいいのだろう。だが、刑務所内にいる受刑者が精神的苦痛や被爆の恐怖を味わったのだろうか。そうとは思えない。東電という会社の常識のなさを感じる。

  福島刑務所には大震災当時1700人の受刑者が収監され、このうち口コミで賠償の話を知った80人超が賠償金を請求したという。例によって、人権派の弁護士は「倍賞を受ける権利は全受刑者にある」と主張するが、そうだろうか。だれが見ても非常識なのであり、その理由はここでは省略する。

 

 東電の常識のなさを報じる小さなニュースが東京新聞に載っていた。昨夜の民放でやっていたので、朝刊に載るかと思っていたら、東京新聞にしか出ていなかった。それもベタ記事扱いだった。

  新しい東電の下河辺会長と広瀬社長が、3日午前全町避難をしている福島県浪江町(役場機能を二本松市に移転)の馬場町長を訪問した。馬場町長は原発事故当時の東電からの連絡について、このほど公表された東電の事故報告書の内容に疑義があると、回答を求めていたが、広瀬氏らは手ぶらで訪問したという。

  激怒した町長の態度を見た新社長は夕方再訪問、「昨年3月13日に東電社員が原発の状況を説明した」と回答した。これに対し町長は「全くのでたらめ。だれも説明は受けていない。企業倫理は全くない」と、刑事告発するという考えを報道陣に語ったというのだ。

  広瀬社長と弁護士出身の下河辺会長は、まさに「火中の栗を拾った」状態だ。そのことは2人には分かりすぎるほどの「常識」であるはずだ。この言葉は「他人の利益のために危険をおかす。あるいは非常な危険をおかすことのたとえ」である。

  2人の行動指針は東電や財界のためというよりも原発による避難民を優先すべきなのだが、広瀬氏にはそれが分かっていないらしい。浪江町に対する無責任極まる回答はそれを裏付けている。火中の栗を拾うことは、それほど難しいことなのだ。