小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1859 雷電が伝えたかったこと 猛稽古に込めた闘う姿勢

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 凶作と飢餓、貧困に悪政が追い討ちをかけた天明・寛政年間(江戸時代)、相撲界にヒーローが現れた。古今無双の強さを誇った雷電為右衛門である。8日から始まった大相撲春場所(大阪)は無観客開催という異例の場所になった。テレビで歓声のない静寂な相撲中継を見ていて、雷電にまつわる一つのエピソードを思い出し、あらためてこのエピソードを書いた本を読み直した。  

 雷電は旧信濃の国大石村(現在の長野県東御市)に生まれ、通算254勝10敗2分14預5無41休(35場所)、勝率0・962の成績を残し、大相撲史上最強の力士と呼ばれている。飯島和一の『雷電本紀』(小学館)は雷電を主人公とした物語で、雷電が相撲の稽古によって飢餓に苦しむ故郷の人たちを奮い立たせた話が盛り込んである。  

 ある年、雷電は少年の弟子を連れ浅間山の噴火で冷害に見舞われた麓の村を訪れた。飢餓のため生きる希望を失った村人たちを前に、雷電は少年弟子にぶつかり稽古をつける。その稽古風景はすさまじい。ぶつかってくる弟子を容赦なくたたきつぶし、何度も何度も向かってくる弟子に対しものすごい形相で立ちはだかる。意識がもうろうとする中、必死にぶつかる弟子を村人たちは懸命に応援する。その声が聞こえたかのように、少年弟子はついに雷電を土俵から押し出す。    

 翌日、雷電の耳に鬨の声が聞こえてくる。村人たちが弓や竹やり、鎌、鍬を手にうさぎ、鹿、猪など山の動物たちを追いかけているのだった。雷電と弟子の激しいぶつかり稽古に、どんな状況にあっても必死に生きる姿勢の大事さを感じ取った村人たちは、このままでは死ぬわけには行かないと狩りを始めたのだ。生きる糧を得た村人たちは宴を始め、人々の頬は夕日に照らし出される。  

 雷電の物語に盛り込まれたこのエピソードは、苦境に追い込まれても「明日への希望があるのだ」という飯嶋からのメッセージといえる。無観客で開催されている春場所。テレビ中継を見ている視聴者はどんな印象を受けるだろうか。私はこれまで以上に力士や行司、呼び出しの所作が目に付き、淡泊な取り組みが多いように思えてならない。力士たちも館内の静寂さに戸惑いながら土俵に上がっているようだ。コロナウイルスという未解明のウイルスに脅かされている現代。雷電がいたなら、激しい稽古と取り組みで闘う姿勢を見せてくれるに違いないと夢想する。  

 りゝしさは四つに組んだる角力哉  正岡子規 (相撲、角力は秋の季語。旧暦7月に宮中で相撲節会=すまいのせちえ=が行われ、叡覧があったことから秋の季語になった)