1786 雨の季節に咲く蛍袋 路傍の花を見つめて
散歩道で高齢の女性2人が話している。
「あら、ホタルブクロがそこに咲いているわよ」
「そうね。懐かしいわ。私の子どものころ、この花を『あめっぷりばな』、って言ってたのよ」
「そうなの。面白い名前ね。私の学校帰りの道の両脇にもあって、これが咲くと、ああ梅雨に入ったと思ったものよ」
2人は追憶の日をたどるように、話を続けている。2人の邪魔をしないように、私は傍らをそおっと通り過ぎた。その先の斜面には、紫とそれよりも薄い紫の2種類のホタルブクロが雑草に混じって咲いていた。どことなく郷愁を感じる風情があり、私も既視感を抱いた。そう、私の通学路周辺にも今の季節になるとこの花がひっそりと咲いていたのだ。
ホタルブクロは雨の中で生き生きとする植物だ。「あめっぷりばな」という呼び方は、巧みな表現といっていい。ホタルブクロという名前の由来は「ぶら下がって咲く花を提灯に見立てて、提灯の古語である火垂を充てた」という説と「子供が花のなかにホタルを入れて遊んだから」という2つの説があるそうだ(NHK出版『里山の植物ハンドブック』より)。なるほど、後者なら確かに「蛍袋」になる。
私が子どものころ、夏になると蛍が飛び交うのが珍しくなかった。だが、残念ながら、この花の中にホタルを入れて遊んだ記憶はない。ただ、語源になっているのだから、いつの時代か、どこかの地域でそうした遊びをする子どもたちがいたのかもしれない。それを想像するだけで、風情を感じるのである。
「螢袋に山野の雨の匂ひかな」 細見綾子の句である。雨に濡れたこの花からは、山野のにおいがしてくるという細見の感性に共感を覚える。ホタルブクロは「ツリガネソウ」とも呼ばれる。正岡子規はこの花の姿を見て「風吹くや釣鐘動く花の形」と詠み、放浪の自由律俳人山頭火は「雨落ちんとす釣鐘草はうなだれたり」という句をつくった。
調整池の遊歩道を1周して、先ほどの斜面が近づいてきた。2人の女性はまだ話を続けている。
「ホタルブクロが終わると、ここには夕菅に似た花が咲くのよね。花の名前はよく分からないけれど、私はあの花も好きだなあ」
「そうね。夕菅といえば昔、立原道造の詩を読んだことを覚えているわ。たしか、こんな詩よ。かなしみでなかった日の ながれる雲の下に 僕はあなたの口にする言葉をおぼえた それはひとつの花の名であった それは黄いろの淡いあわい花だった……。こんな詩よ」
「あなた、詩が好きだったの。それにしても、よく覚えているわねぇ」
「このごろは、物忘れが激しいの。でも、好きな詩や歌は覚えているのよ。詩はたしか『ゆうすげびと』という題だったと思うわ」
私はスマートフォンでホタルブクロの花を撮影してから会釈して、その場を通り過ぎた。空はどんよりと曇っている。雨は降りそうにないから、2人のおしゃべりはしばらく続きそうだった。