小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1775「恐れてはならぬ」時代 改元の日に思うこと

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 30年と4カ月続いた平成という元号が4月30日で終わり、5月1日から令和になった。改元の経験はこれで2回になる。私が生まれた昭和は遠くなりつつある感が深い。昭和は戦争という負のイメージとともに、戦後の経済復興という力強い歩みの側面もあった。これに対し平成は多くの国民が踊ろされてしまったバブル経済が崩壊し、以後、少子高齢化社会の進行を背景に日本社会から活力が失われ、さらに阪神大震災東日本大震災東京電力福島第一原発事故に代表される「災害」に国民生活が脅かされ続けた時代でもあった。  

 本棚を整理していて、この時代に起きたテロに関する本を読み直した。村上春樹アンダーグラウンド』(講談社文庫)とジム・ドワイヤー、ケヴィン・フリン『9・11 生死を分けた102分』(文藝春秋・三川基好訳)の2冊である。今、世界ではテロが相次いでいる。だが、衝撃度が格段に高いのは2冊の本に描かれた事件ではないかと思う。

 日本では1995年3月20日の地下鉄サリン事件(死者13人、重軽症者約6300人)、海外では202年9月11日の米国の同時多発テロ(死者2996人=被害者2977人+実行犯19人、負傷者6291人以上)だ。カルト教団イスラム過激派が私たちの想像を超えた手段によって無差別テロを起こし、多くの市民を犠牲にした2つ事件をこの時代に生きた私たちは別格的存在として記憶している。  

 村上はノーベル賞受賞が近いといわれる作家だが、この作品は地下鉄サリン事件被害者へのインタビューを集めたノンフィクションだ。村上は新聞やテレビの報道を見ても「1995年3月20日の朝に、東京の地下で本当に何が起こったか?」という疑問が解けず、この本の取材を始めたという。

 インタビューに応じた62人のうち、この本には60人の人生とどのようにして事件に遭遇してしまったかが掲載されている。事件を起こし死刑判決を受けたオウム真理教の関係者は、教祖の麻原彰晃以下、全員死刑が執行されているが、依然として後遺症に苦しむ人は少なくないという。24年前のあの朝、東京の地下鉄で起きた惨劇の光景がこの本によって重層的に再現され、当時のテレビの映像や新聞報道ではうかがい知れない実態を垣間見た思いである。  

 もう一冊は、9・11同時多発テロのうち、ニューヨークのワールドトレードセンター・ツインタワー(世界貿易センタービル北棟、南棟)にハイジャックされた2機の航空機が激突したテロの生存者への証言を基にしたドキュメント作品だ。作者はニューヨークタイムズ記者2人で、取材は数百人に及んだという。

 利潤追求のためにエレベータや避難階段を少なくして建てられたビル、無線も通じない警察・消防の救助体制など、犠牲者が増えてしまった背景がこの本で浮かび上がる。2つのテロは、懸命に生きている人々の日常風景の中に入り込んだ不条理という非日常性だった。人の命ははかないという以上に、絶望感のようなものが当時の私の心を包んだ。日本は、そして世界はどこへ向かって行くのかと。  

 村上春樹は、この本で「私たちの社会システムが内奥に包含していた矛盾と弱点とをおそろしいほど明確に浮き彫りにした。私たちの社会はそこに突如姿を見せた荒れ狂う暴力性に対して、現実的にあまりにも無力、無防備であった。(中略)そこであきらかにされたのは、私たちの属する『こちら側』のシステムの構造的敗北であった」と書いている。それは、2つの事件に共通するように思えてならない。  

 時が流れた。世界はテロが日常化しつつあり、混迷度が深まっている。だが、私は若い世代にこんな言葉を掛けたい。

「前途は遠い。そして暗い。しかし恐れてはならぬ。恐れない者に道は開ける。行け。勇んで。小さき者よ」(有島武郎小さき者へ・生まれいずる悩み』から)。

 これは私の祈りでもある。  

 写真はせせらぎに散った遅咲きのサトザクラの花びら