小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1776 ほてんど餅って知ってますか 柏餅のことです

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 きょうは「こどもの日」で、端午の節句である。ラジオ体操で一緒になった人と柏餅のことを話していたら、「私の方では柏の葉ではなく、『ほてんど』の葉を使うので『ほてんど餅』というんですよ」と教えてくれた。中国地方出身というこの人は、帰り道この植物を教えてくれた。それは「サルトリイバラ」という全国に分布する植物で、山口県では「ほてんど」と呼ばれるそうだ。柏餅でも地域によって利用する葉が違うのだから、日本には幅広い食文化があるのだと感心した。  

 柏餅を食べる習慣は日本で生まれたならわしで、柏の木(ブナ科)は新芽が出るまで古い葉が落ちないことから「跡継ぎが途絶えず、子孫繁栄」につながり、家系が絶えない縁起のいい食べ物になった――と、歳時記に出ていた。柏餅の呼び方は地域によって違いがあるそうだ。本来の柏の葉を使った柏餅のほかに、サルトリイバラの葉の方で作ったものの呼び方は数多く「ほてんど餅」「ばらっぱ餅」「かしゃんば」「いばらだんご」「しばもち」「ひきごもち」「かたらもち」「かんからもち」(以上、日本調理科学会誌より)などがあるのだが、これは一例にすぎず、もっとある。サルトリイバラの呼び方が地域によって異なるのが、その理由のようだ。西日本ではこの葉を使ったもの自体を柏餅と呼ぶこともあるそうだ。  

 海野厚作詞、中山晋平作曲の「背くらべ」という童謡は、この季節の曲で、誰でも知っているだろう。

 1  柱のきずは おととしの  五月五日の 背くらべ  粽(ちまき)たべたべ 兄さんが  計ってくれた 背のたけ  きのうくらべりゃ 何のこと  やっと羽織の 紐のたけ  こ

 こで出てくる粽は、コメの粉を練ったものを笹の葉や竹の皮で包んで蒸したものだが、もともとは茅の葉で包んだため粽と呼んだのだという。これも柏餅と同様、端午の節句で食べるならわしで、中国・楚の詩人、屈原(汨羅=べきら=に投身自殺)を供養するため、端午の節句の日に五色の糸をつけた竹筒に米を詰めて水中に投じたことが起源といわれる。  

 食べ物が豊富にある現代、五月五日・端午の節句だから柏餅や粽を食べようという家庭はどれほどあるだろうか。ただ、私の子どものころは母が特別に柏餅を作ってくれ、子ども心にこの日の来ることが楽しみだったことを覚えている。もう一つの粽は食べなかった。  

 時代は遡って、戦国時代から東海道白須賀宿静岡県湖西市)と二川宿(愛知県豊橋市)の間に「猿馬場(さるがばんば)」という茶屋があり、柏餅が名物だったといわれ、歌川(安藤)広重の版画にも描かれている。ただ、名物にうまいものなしで「まずいと評する者が多い猿馬場の柏餅」(原田信男『日本の食はどう変わってきたか』角川選書)とも紹介されている。  

 村上春樹の長編小説『ねじまき鳥クロニクル』にも柏餅が出てくる。旧満州の元関東軍参謀本部情報将校(少尉)が旧満州外蒙古(モンゴル)の国境地帯の地図作りのために、民間人を装った高級将校と思われる男らとホロンバイル草原からハルハ河を渡って外蒙古に越境する。そこで、少尉が柏餅を思うシーンがなぜか2回登場するのだ。1回目は交代で歩哨に立つ場面で、少尉は5月初めの故郷(山口と県境の広島の出身)の風景や友人、家族を思い浮かべ、そしてふっくらとした甘い柏餅を死ぬ程食べたい、ここで柏餅が食べられれば半年分の給料を払ってもいいと思う。

 2回目は外蒙古とロシア軍に捕まった少尉が古井戸に投げ込まれ、死と隣合わせの状況の中で(同行の下士官に助けられ、九死に一生を得る)恋人や肉親、柏餅のことを思うのだ。柏餅は食べ物の代表として使われているのだが、その理由は分からない。(広島でもサルトリイバラの葉を使ったものを柏餅と呼ぶのが一般的のようだ)  

 珍しく柏の葉なり柏餅 高知県出身の俳人右城暮石(1899~1995)の句だ。高知では柏餅のことを「しばもち」あるいは「ひきごもち」といい、いずれもサルトリイバラの葉を使ったものだから、柏の葉に包まれた柏餅が出てきたのが珍しく、こうした句ができたのではないかと想像する。  

 ところで、この植物は漢字で「猿捕茨」と書く。トゲのある茎が伸びると藪のようになり、そこに入りこむと猿も動けなくなるだろう、というのが名前の由来らしい。でも葉はきれいで、優しい色ですね。  

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 写真 1、サルトリイバラの葉 2、川沿いに飾られた鯉のぼり 3、五月晴れの空に一筋の飛行機雲が見えた