小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1309 小さき者よ 友人へのメッセージ

画像「小さき者よ。不幸なそして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に上れ。前途は遠い。そして暗い。然し恐れてはならぬ。恐れないものの前に道は開ける。行け。勇んで。小さき者よ」。

 これは明治―大正時代の作家、有島武郎の短編「小さき者よ」の終わりに出てくる言葉である。この言葉をきょう17日に、長男を出産した友人に贈った。 この言葉は、成長して社会の荒波へと航海する子どもへのメッセージといえる。

 札幌に住んでいた当時(2000年~2002年)、通勤途中、中心部にある大通公園を歩いた。この公園の一角に、札幌農学校で学び、後にニセコ町で有島農場を開いた有島の文学碑があり、この言葉が刻まれている。時々、碑の前に立ち止まり、この言葉を読んだ。

 有島が明治43年5月から~44年7月まで住んだ家は北海道開拓の村(札幌市厚別区)に保存されており、ニセコには有島記念館もある。これらに比べると、大通公園の文学碑は目立たないが、私にとっては思い出深いモニュメントなのだ。

「新米の其一粒の光かな」。高浜虚子の新米(ことし収穫した米)に寄せた名句である。新潟の知人から新米のコシヒカリが届いた。その粒を手に取ってみると、なにやら輝いているように見えた。

「新米」を誕生したばかりの赤ちゃんに例えれば、ご家族にとってはまさしく「一粒の光」といっていいだろう。だが、この小さな光が集まって、未来の社会を大きく照らす灯りになる。友人の赤ちゃん誕生を祝いながら、新米を味わいたいと思う。