小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1659 坂の街首里にて(9) 土地の香がする琉球泡盛

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 沖縄の酒といえば琉球泡盛といっていい。ふだんこの酒とは縁がない。だが、首里に滞在している間、琉球泡盛を飲んだ。焼酎と共通する個性を感じ、これまでほとんど口にしなかったこの酒に親しんだ。振り返ると、郷に入っては郷に従えということを、酒で実践した日々だった。  

 滞在していた首里の家のすぐ近所に、「瑞泉酒造」という1887(明治20)年創業の琉球泡盛の老舗があった。この酒蔵を見学し、試飲をした。1本買ってオンザロックで飲んでみたら、なかなか飲みやすい。焼酎の原料は米、芋、麦(ソバも使われるが、全体では少ない)だが、琉球泡盛は米である。双方とも蒸留酒である。泡盛はインディカ種と呼ばれる細長い粒をした硬質のタイ米が使われているのが特徴だ。注意して見ると、各メーカーのラベルには「原材料:米こうじ(タイ産米)」とある。  

 泡盛は日本最古の蒸留酒で、15世紀に当時のシャム(現在のタイ)から伝わったといわれる。そのために、原料としてタイ産米を使うという伝統があるのだろう。沖縄の人々は男女を問わず泡盛の愛好者が多く、沖縄には50近い蔵元がある。このうち瑞泉は首里の銘酒といわれ、首里城瑞泉門付近の豊富な湧水が名前の由来だ。この酒蔵の前の歩道は石畳が敷かれ、風情のある通りになっている。  

 近世日本史に登場する米国のペリーは、5回琉球にやってきている。日本に開国を迫ったペリーが、交渉の拠点に琉球を選んだからだ。1853年の晩餐会の際には泡盛を飲んで「豊潤でまろやかだ」と絶賛したという記録がある一方、その翌年にはペリ―艦隊の水兵が、自分の不始末によって死ぬという事件も沖縄史には記されている。ボードという水兵が小舟で上陸し、人家に侵入して泡盛を奪って泥酔、機織りをしていた女性を暴行しようとした。しかし、叫び声を聞いた住民が石を投げて追い払い、ボードは那覇港岸壁まで逃げたが、足を滑らせて海に転落、溺死したというのである。この事件の後始末に琉球側は四苦八苦するのだが、このように泡盛は沖縄の歴史の断面にかかわっているのである。  

 長田広の詩集『人生の特別な一瞬』(晶文社)の中に「焼酎が好きなのは」という詩がある。この詩人が、酒の中でも特に焼酎が好きだったことが伝わる詩だ。その中で、こんな言葉が印象的だ。「これほどそれぞれの土地の匂いというものをのこしている酒はなく、焼酎というのはとても個性的だ。(中略)いい焼酎を飲むと、いい風景のなかに身を運びたくなる。いい旅をしたくなる」。私が飲んだ琉球泡盛も土地の香りが漂っていた。しかも、首里という極めて個性ある風景の中に身を置くことができたから、今度の旅は思い出に残るいい旅になった。(続く)

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 写真  1、首里の瑞泉酒造  2、琉球泡盛  3、瑞泉酒造前の歩道は石畳の道だ  4、周辺の坂道  5、崎山公園入口にある崎山御嶽(さちやまうたき)跡=14世紀末、波上宮の創建に関わった崎山里主(さきやまさとぬし)の住居跡とされる。また、琉球王国時代には女神・首里大阿母志良礼(しゅいうふあむしられ)が祭祀を行った御嶽(うたき)だったといわれる。琉球の人々は王府の聖地を参拝する行事「首里拝み(すいうがみ)」や、離島への遥拝所としてこの御嶽に集まったそうだ。