小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1926 学べき悔恨の歴史 秘密文書に見るユダヤ人問題

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 前回のブログで、ナチス・ドイツ強制収容所アウシュヴィッツにあったオーケストラのことを書きました。引き続きこれに関連したことを記したいと思います。太平洋戦争中、日本政府が人口・民族政策に関する研究を行い、秘密文書をまとめていたことはあまり知られていません。この研究ではユダヤ人問題でナチスの政策を追認していたのです。この文書の存在が明らかになったのは戦後36年経た1981(昭和56)年のことでした。あれから39年の歳月が経ているのですが、地球上から差別問題は依然消えていません。

 この文書がどんなものかを説明する前に、ユダヤ人問題についての記述を紹介します。以下は要約です。

ユダヤ人問題=民族の歴史から彼らを自然に陰性な性格にした。彼らは一般的に疑心が深く、復しゅうの念強く、悪賢く、その行動は陰険であり、利己的などの嫌悪すべき民族的個性を持つ。  

 ナチス・ドイツユダヤ人排撃は①第1次大戦中非愛国的な行為が国内を混乱させ、敗戦の原因となった②第1次大戦末期とその前後のソ連などの共産主義運動、共産革命失敗後の社会民主主義政権でユダヤ人が重要な地位を占め、ドイツを屈服させた連合国内や国際連盟でもユダヤ人が活躍した③大戦後共和政権下のドイツに入ったユダヤ人が既住の同族と政治、経済、自由職業、学界、言論界で強大な勢力を占め、ドイツ民族を圧迫しこれを追い越そうとした――ことが原因。このため大戦後ユダヤ人憎悪が爆発、ヒトラーナチスの指揮者としてユダヤ排撃を強行、究極には完全放逐が目標となった。  

 日本のユダヤ人対策は公明正大の精神で臨むべきだが、思想、信念、行動に警戒すべきものも多く、注意を密にして当たるべきだ。》  

 これを読んで、どんな印象を持つでしょうか。特に前段のユダヤ人の性格についての表現は、偏見に満ちたもので、醜悪だと思います。「日本のユダヤ人対策は公明正大の精神で臨むべきだが」という記述もありますが、全体的にナチスの言い分をそのまま真似た独善的文書としか言いようがありません。

 この文書は「大和民族を中核とする世界政策」(1943=昭和18年7月1日付、3137頁、B5版ガリ版印刷)と題した報告書で、当時の厚相・小泉親彦陸軍軍医中将(戦後、戦犯としての取り調べを前に1945=昭和20年9月13日自殺)の厳命で、厚生省研究所人口民族部の40人の研究者が総がかりで作成したそうです。  

 この中にはユダヤ人問題のほか、混血問題、中国での新秩序の建設、大東亜共栄圏確立のための人口配置問題、対民族工作の目標――が盛り込まれています。この文書を作成する1年前には「戦争の人口に及ぼす影響」(1942=昭和17年12月1日付、810頁、同)という研究もまとめられ、「戦争維持のために出生率引き上げが重要」として、有名な「生めよ増やせよ」政策の必要性を提言しました。  

 2つの文書は大和民族の純血性を強調したうえ、内地在住(在日)朝鮮人は「出稼ぎ移住」であり、積極的な同化への能力を持ちえない――と記すなど、偏見と独断に満ちた内容です。双方合わせると全8冊に及び、極秘扱いとして約100部作成され、政府のトップクラスにのみ配布されたということです。戦後になってもGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)からの追及を恐れ、関係者は文書の存在を隠し続けましたが、1981年になって当時の厚生省人口問題研究所(現国立社会保障・人口問題研究所)の倉庫の奥に1部(全8冊)だけが残っているのが偶然に見つかり、筆者が記事にした経緯があります。  

 最初の方で紹介したユダヤ人問題について、ある研究者は「ドイツの影響を受けたもので、ヒトラーの政策の焼き直しだ」と指摘していました。この研究者は「日本は日露戦争後、ニューヨークで外債を発行した際、ユダヤ人が協力してくれたことに感謝しており、ナチスユダヤ人べっ視を言い出すまでは偏見を持っていなかった」とも話していました。日伊独3国同盟(1940=昭和15年9月27日)を結んだ後、日本がドイツのユダヤ人政策に引きずられたことを示す文書といっていいでしょう。  

 現代でも米国の黒人差別問題、中国の新疆ウイグル自治区でのウイグル人イスラム教徒)への弾圧問題をはじめ、世界では様々な差別、偏見が渦巻いています。「歴史は繰り返す」という言葉があります。「過去に起きたことは、同じような経過をたどってその後の時代にも繰り返し起こる」という意味で、古代ローマの歴史家クルチュウス=ルーフスの言葉だそうです。

 この文書の発見を報じた沖縄の地元紙沖縄タイムスは、翌日の社説でもこの文書について再び取り上げました。その中に「発見された極秘文書は“軍国日本”の一端を示したにすぎないが、私たちにとってそれは、大きな『悔恨の歴史』でないといけない」と書いていました。言うまでもなく人類にとって悔恨の歴史は数限りないほどありますが、それを繰り返さないために為政者も国民も歴史と向き合わなければならないと思うこのごろなのです。