小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1625 旅行は教育と経験の一部 スペインで2重のスリに遭遇した友人

画像

 このブログでは度々ベーコンの『随想録』を引用している。今回もその中から借用する。「旅行は若い人達にあっては教育の一部であり、年輩者にあっては経験の一部である」(18「旅行について」より)。この言葉のどちらにも当てはまる経験を友人が最近、スペイン旅行で味わってしまったという。友人は「人生最悪の旅」だったというが、確かにその通りだと思う。    

 友人は、友だちと2人で年末年始にスペイン旅行に出かけた。カタルーニャ地方の大都市バルセロナを拠点に観光を楽しむ旅だった。途中で友だちが帰国し、友人は見たいと思っていたアルハンブラ宮殿に行くため、アンダルシアのグラナダまで足を延ばした。宮殿見学のためホテルから外へ出たが、途中で肩から下げていたバッグのファスナーが開いていることに気づいた。慌てて中を点検すると、財布やパスポート、クレジットカードを入れていた小物入れがなくなっていた。パスポートはアルハンブラ宮殿に入る際、購入済みだったチケットの名前と本人を確認するため携帯するよう指示があったため持っていたのだ。  

 ホテルに預けた手荷物に入れたままかと思い、戻って調べてみたが、そこにはなかった。スリの被害に遭ったのだ。友人は頭の中が真っ白になった。何とかしなければならない。たまたまグラナダには日本語で現地情報を提供する旅行代理店があった。友人はこの会社に駆け込み、日本人社長に頼み込んで50ユーロを借りた。チケット料金を払い込んでいた宮殿に行くと、パスポートは求められず入場できたから、そのいい加減さに驚いた。  

 この後、グラナダからバルセロナに列戻るためマドリードで下車し、駅構内でチケットを予約しようと、スマートフォンを見ていた。この時、再びトラブルが友人を襲った。友人は2つのバッグを持っていたが、足元に置いていた1つを置き引きされたのだ。あっという間の出来事で、成す術がない。その中には旅行の思い出を撮影したカメラが入っていた。もちろん、あのアルハンブラ宮殿も写っていた。スリと置き引きという2重の被害だった。この被害でこの日はチケットが取れず、マドリードに予定外の宿泊をする羽目になった。  

 友人はこの後も、バルセロナ駅のホテル近くでコートの背中にケチャップを掛けられ、総領事館渡航書を申請手続きのため、予約していた帰国便に乗り遅れてしまうというトラブルに遭う。幸いにもクレジットカードが使われた形跡がなく、ホテル代などもきょうだいのカードで処理でき、何とか帰国できた。ケチャップの時は注意していたから何も取られなかったが、楽しみにしていたスペイン旅行は、友人にとって「人生最悪の旅」になり、友人はこれらの出来事を思い出し「スペインは懲り懲り」と言う。  

 海外の旅行ガイドや外務省の海外安全ホームページには、各国の安全に関する情報が掲載されている。特に日本人がスリに遭遇するケースが多いという。友人は背中にケチャップを掛けられたが、その汚れを教えて注意をそらし、かばんや財布を盗む「ケチャップスリ」という手口もあるというから、危うく3回目の被害に遭うところだったといえる。  

 私も以前、スリランカでスリの被害を受けたことがある。あの経験以来、日本と海外の違いを肌で感じ、自己防衛をするようになった。私にとってそれは苦い思い出になったが、教育の一部ともいえる貴重な体験だった。友人については後日談がある。東京の飲食店が多く入ったビルのトイレに入り、個室にバッグを置き忘れた。1時間ほどしてそのことに気が付き、慌てて行ってみると、バッグは元の場所に置かれていた。中身も異常はなかった。客の出入りが激しいビルだから、なくなってもおかしくはなかった。これが日本なのである。

「禍(わざわい)を転じて福となす」という言葉がある。「わざわいとなって身にふりかかって来た事柄をうまく変えて、かえってしあわせになるよう取りはからう」(東京堂出版「故事ことわざ辞典」)という意味である。新年早々、思いも寄らない災難に遭遇した友人も、これから送る日々の中で必ずいいことに出会い、幸せになるに違いない。そして、友人の被害は海外旅行をする人たちにとって教訓になるはずだ。

画像

写真はグラナダの街並み

516 神様がくれた指の女性たち スペイン・ポルトガルの旅(3)