小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

991 祈りの地を目指して 歩き続ける人を描いた映画「星の旅人たち」

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 知人から「星の旅人たち」という映画を見てほしいというメールが届いた。「息子を亡くした初老の男のスペイン・サンチャゴ(サンティアゴ・デ・コンボステラ)への巡礼の旅(800キロ)を描いたヒューマンドラマです。昨秋、次男(33歳)の遺灰を持って聖地を歩いてきた私と映画はダブり、胸が熱くなりました」というものだ。

 以前、スペイン観光をした際に買った旅行案内本には「巡礼の道」という章があった。それには「祈りの地を目指して人々は歩き続ける」という副題が付いていた。映画もこの副題の通り、サンチャゴへの巡礼の旅を続ける4人の男女のストーリーだ。

 映画を見ながら、知人のことを思った。人生には順番があって子どもが親の死を看取るのが大部分の家族の姿だ。しかし神様は気まぐれであり、子どもの方を先に天国へと誘ってしまうことがある。2010年12月16日に「ある遺言 『消えた山』に託す大谷さんの思い」というブログを書いた、大谷さんも働き盛りの精神科医の息子を亡くし、そのつらい心情を冊子にしていた。

 聖地へと巡礼の旅をした知人の悲しみはいかばかりだっただろう。 旅の本によると「巡礼の道」は、9世紀初め、地の果てといわれていたスペイン・ガリシア地方でキリストの12使徒の1人、聖ヤコブ(スペイン名、サンチャゴ)の墓が発見され、その後この地は「サンティアゴ・デ・コンボステラ(星の野原の聖ヤコブ)」と呼ばれ、キリスト教の三大聖地の一つになった。

 11世紀に入って、聖地と巡礼路が整備され、巡礼者たちを迎え入れるようになったのだという。サンチャゴの大聖堂では、長旅で汚れ、異臭を放つ旅人たちの体を清めるたボタフメイロという大香炉を振る儀式が知られている。映画でもこのシーンが登場するが、巡礼者にはありがたい儀式なのだろう。(ボタフメイロで検索すると、動画のユーチューブでこの儀式を見ることができる)

 映画は、巡礼の旅の「街の案内」でもある。フランスのサン・ジャン・ピエ・ド・ポーを起点に、ロンセスバリェスからパンプローナ、さらにイラーチェ、ログローニョ、ブルゴス、レオン、オ・セブレイロという街を経て、聖地サンチャゴに至る800キロを歩こうというアメリカ人団塊の世代の眼科医・トム(マーティン・シーン)の話だ。

 トムは、サン・ジャンからサンチャゴまでの巡礼の旅に出発、初日に嵐のためピレネー山中で遭難して亡くなった息子の遺灰を持って祈りの地を目指す。途中、オランダの太った男、カナダのヘビースモーカーの女、アイルランドの売れない旅行作家の男と合流する。いずれも訳ありの人生を歩んでいる3人と出会い、トムは閉ざしていた心を次第に開いていく。

 旅の途中、ジプシー(ロマ族)の少年に盗まれたトムの荷物が少年の父親によって返される。父親はトムに「息子さんの遺灰を流すならムシーナ行きなさい」と勧める。4人は聖地に到達した後、ジプシーの言われたムシーナという海岸の街に行く。 ここでトムが息子の遺灰を海岸の岩にまくシーンが心に残った。それまでトムは要所で遺灰をまいてきたのだが、ここが最後の地だった。

 息子の遺灰を海岸にまく父親の心情は複雑に違いない。それをトム役のはマーティン・シーンは、見事に演じ切った。ラストシーンでは、インドの雑踏を歩くトムが出てくる。なぜか、ふっきれたような顔をしている。人生に新しい希望を持ったのだろうか。いい映画である。

 同じような体験をした知人は、巡礼の道を歩き終えて前を向く気持ちが戻ったのだろうか。 この映画の監督は、マーティン・シーンの息子のエミリオ・エステヴェスだった。父と子の息がぴったり合った作品だと思う。

≪追記≫ 

「サンチャゴ」について=中世、スペインからキリスト教勢力を追い出したイスラム勢力に対し、キリスト教勢力は718年からレコンキスタ(国土回復運動)という戦争を起こす。何世紀にもわたる気の遠くなるような長い戦争で、イスラム支配下で最後まで残ったのがアルハンブラ宮殿があるグラナダ王国だった。

 1492年にグラナダも陥落、774年に及ぶイスラムとキリスト勢力の戦いは終わる。このレコンキスタキリスト教勢力の精神的支柱になったのが聖ヤコブサンティアゴ)であり、兵士たちは「サンチャゴ」と叫びながら戦ったのだという。 江戸時代に起きた日本史上最大の一揆といわれる島原の乱(1637年12月―1638年4月)でも、幕府軍と戦った一揆側が「サンチャゴ」と鬨の声を挙げて、突撃したという史実も残っている。