小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1048 夕焼けの雲の下にいる福美ちゃんへ あるコメントへの返事

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 「出会った人たちの言葉(3)に対し、うれしいコメントがあった。後段の「どんな悩みも隠さないで」の石川福美ちゃんのお母さんからだった。福美ちゃんは小児がんで短い生涯を閉じた。そして、娘を亡くしたお母さんは喪失感の中、心の葛藤と闘い苦しい日々を送ったことは想像に難くない。

 コメントには苦しみを克服したお母さんの姿が凝縮されている。 以前、百田宗治の「夕やけの雲の下に」という詩について、子ども時代の外国への憧憬の気持ちを表していると書いたことがある。だが、コメントを読んで、実は石川福美ちゃんたちこそ、この詩にふさわしいと気が付いた。

 石川福美ちゃんについては、2回このブログで取り上げている。1回目は2008年11月14日の「けなげな子どもたち」、2回目は2009年2月7日の「心の中で輝く2人の少女」である。石川福美ちゃんがどんな少女だったか、理解していただけるだろう。 2回目のブログから3年9カ月が過ぎた。

 出会った人たちの言葉は、これまで6年の間にさまざまな機会に出会った人たちの印象に残る言葉を記したもので、福美ちゃんのことにも触れている。福美ちゃんのお母さんからのコメントは以下の通りだ。

《「石川ふくみ相談会」・・・福美の母です。福美にあいたくて苦しくてどうしようもなかった時、涙で滲んだ画面の向こうに福美がいました。一生懸命に生き抜いた福美の心を受け止めて下さり、本当にありがとうございました。寂しくなると「小経を行く」を開いては癒され頑張ってくることができました。

 もうすぐ、8年前に、福美が未来を信じて臨んだ骨髄移植の日がやってきます。その日の前日にパシフィコ横浜でがんの子どもを守る会のイベントがあります。絵画展には福美が無菌室で書いたサンタクロースへの手紙を出品し、イベントには私が実際に送ったドナーさんへの手紙とその後のドナーさんへの想いを綴った手紙を出しました。 福美の作品と私の手紙の中身は「感謝」です。福美の終末期、死後、カルテ開示まで様々なことがありました。  

 悲しみよりも憎悪と悔しさと憤りで潰されそうだった私の心を助けて下さった存在のひとつに「小経を行く」がありました。 担当医への、病院への、憎悪の感情が違ったものになった今、福美の心を受け止めて下さった「小経を行く」に堂々と感謝を伝えられると思い綴らせていただきました。

 ドナーさんと同じでお会いしたこともないけれど、いつも、いつも、感謝しています。ありがとうございます。》

次に百田宗治の「夕やけの雲の下に」の詩。

《遠い夕やけの空をみていると、ぼくはあの雲の下に美しい国があるとおもう。

 心のきれいな人ばかりが住んでいて、いつもたのしい音楽がきこえているような気がする。

 ぼくはあの遠い国に行きたいなとおもう。そこには白い塔や、美しい広場があって、塔の上にはいつもきらきらと黄金いろの日がかがやき、広場にはぼくたちのような少年や少女が、いつもいっぱい遊んでいるような気がする。

 ぼくはあの国に行って、よい本を読み、よいことを考え、みんなの役にたつよいことをしたいとおもう。

 あの国にもきっとぼくたちのような少年がいるだろう。

 遠い夕やけ雲を見ていると、ぼくはあの下に美しい国があるとおもう。美しい音楽と、たのしい夕餉があるとおもう。》

 この夏のロンドン五輪に寄せて書いたブログ(8月13日)で、この詩を使った。だが、福美ちゃんのお母さんのコメントを読んで、詩の解釈を変えようと思った。この詩が似合うのは福美ちゃんたちなのだ。