小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1587 9月に吹く風 変わらぬ人間性

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 物いへば唇寒し秋の風 松尾芭蕉 

 今日から9月。急に涼しくなった。秋風が吹き、街路樹のトチノキの実が落ち始めた。詩人の大岡信は、日本人の秋風に対する思いについて、面白いことを書いている。最近、ニュースになった政治家のヒトラーに関する発言を考える上で参考になった。  

 大岡は『瑞穂の国うた』(新潮文庫)の中で、芭蕉の句を紹介した後、以下のように書いている。  

《日本人の秋風というものへの共通の了解事項の一つがこの〈物いへば……〉にあるような気がします。日本人は〈物いへば……〉といわれると、「そうだ、そうだ」と心の中で感じるものが多い民族ではないでしょうか。実際は、とくに最近は〈物いへば……〉と言ったら笑われてしまくらい、ものを言うことの大好きな人がふえましたが、日本語というものじたい、どちらかというと寡黙なもの、沈黙へ向かって進むもの、そういうものに傾くようなところがあるのではないかと思うのです》    

 政界の実力者といわれる麻生財務相の言葉が波紋を広げている。「(政治は)結果が大事なんだ。幾ら動機が正しくとも、何百万人殺しちゃったヒトラーは、やっぱり幾ら動機が正しくても駄目なんですよ。それじゃあ」という言葉である。

「動機が正しい」とは、ユダヤ人を排除するナチズムが正しいとしか読めない。物を言うことが好きなのは構わないが、言葉が生命線ともいえる政治家として思慮が浅すぎるといわれても仕方あるまい。  

 米国の第16代大統領、リンカーンは的確な言葉を残している。  

人間性は変るものではありません。わが国将来の一代試練の時にも、今この試練にあっている人々と比べてまったく同じように、弱い者強い者があり、また愚かな者賢い者があり、悪い者善い者がいることでしょう。(リンカーン演説集)〉  

 昨今のわが日本の政界を見ていると、突然、低姿勢になった人や発言を取り消す人が相次いでいる。だが、リンカーンの言うように、人間性は変るものではないから、時々本性が表に出てしまうのだ。くだんの実力者は、以前にも憲法改正に絡んで、ナチス政権の手口を学ぶべきだという趣旨の発言をして物議をかもしたことがある。

 リンカーンの言う通り、一時は反省の態度を示しても、実は人間性は変らないことを痛感する。関東大震災の際に虐殺された朝鮮人の慰霊式に、追悼文を出すのを取りやめた都知事も、歴史認識の本性を露わにしたということだろう。  部屋のカレンダーをめくったら、今月の写真はブラジル側から撮影したイグアスの滝だった。

 かつて原住民といわれる人たちしか見ることができなかった景観も、いまでは世界各地からの観光客で埋め尽くされている。世界はますます狭くなっている。内向けのつもりで話したことも瞬時に世界に伝わる時代であることを、政治家は認識しなければならない。

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 1213 南米の旅―ハチドリ紀行(2) 大いなる水イグアスの滝