小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1577 沖ノ島はどんな島 藤原新也写真展を見る

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 古来、日本人は神に対する根強い信仰があった。その象徴ともいえるのが福岡県の玄界灘に浮かぶ小さな島、沖ノ島だ。東京・日本橋高島屋で開催中の藤原新也の写真展「沖ノ島 神宿る海の正倉院」を見た。一般人・女人禁制といわれる沖ノ島(福岡県宗像市)は今月9日ポーランドで開かれた世界遺産委員会で「『神宿る島』宗像・沖ノ島県連遺産群」として世界文化遺産への登録が決まった。その直後のタイムリーな写真展である。  

 藤原は著書『沖ノ島 神坐(いま)す海の正倉院』(小学館)の中で島を以下のように紹介している。 「禁忌の島である。島は何人も自由に入ることを許されない。女人禁制である。だがそれは女子差別に由来するものではない。もとよりこの島は田心姫(たごりひめ)という女神そのものなのである。むしろ女性上位なのだ。かつて島に入る者は島の宝物はもとより、一木一草一石持ち出してはならない、という掟もあった。かりにこの島が世界遺産になろうと、それは人が立ち入ることのできない世界でも希な世界遺産である。この島の情景は写真でしか伝えることができない。人々は写真でしか見ることができない。だから私はそれを伝えるために、祈りを込め、シャッターを押した」

 沖ノ島は、地図で見ると、福岡県の玄海灘に浮かぶ周囲4キロ、面積0・69平方キロの小さな島だ。島全体が宗像大社沖津宮御神体で、山の中腹には宗像大社沖津宮社殿がある。この周囲から4~9世紀の祭祀遺構が発掘され、約8万点の出土品すべてが国宝と重要文化財になっていることから「海の正倉院」と呼ばれる。写真展は緑に包まれた島の自然や、出土した宝物類約70点を写したものだ。暗緑色で写した大型パネルの写真は、「神秘」の色合いを深めている。  

 この島近くでは日露戦争当時、日本海軍とロシアのバルチック艦隊が衝突し、島には日本海軍のやぐらもあったという。当時、宗像大社の小使いとして島に住んでいた少年の目撃談が神職によって記された。それが司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』でも「当時18歳の小使いの少年が眼下に展開する日本海海戦を目撃することになった。神職は懸命に祝詞をあげ、小使いの少年は身がしきりにふるえ、涙がこぼれてどうにもならなかった」と記されている。太平洋戦争時、島には要塞や砲台などの軍事施設が建設されたこともあり、この島が軍事的にも重要な位置にあることを示している。だが、この写真展では関連の写真は見当たらなかった。文明批評的写真が多い藤原の写真展としては、この点が物足りないと感じた。  

 沖ノ島を含め宗像大社関連の遺構は、世界遺産登録が決まった。これを国家神道復活のきっかけにしようとする動きもあるという。世界遺産は人類にとってかけがえのないもので、そうしたイデオロギーとは無縁であるべきなのは言うまでもない。

  同写真展は8月1日まで。(携帯やスマートフォンでの写真撮影は可)  

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