フィギュアスケートの浅田真央が引退を表明した。26歳であり、10代の若い選手が台頭するフィギュアスケート界ではベテランの年齢に達し、ついに燃え尽きたといっていい。数えてみると、このブログで浅田をテーマに9回書いている。個人についてこれだけ書くということは、浅田がいかにスポーツ選手として優れ、魅力があったかということだと思う。
このブログは11年目に入っている。初めて浅田のことを書いたのは2007年3月、世界選手権で銀メダルを獲得した時のことだった(ブログ1)。インタビューを受けた浅田は、銀メダルの悔しさにトイレで泣いたことに触れ、「なんか、だんだん年をとっていくごとに涙もろくなっちゃって……。昔は人前で泣くのは我慢してたんですけど、最近は止まらなくて」と話した。当時、浅田は16歳だったから、正直この発言に驚き、ブログに取り上げたことを覚えている。
翌2008年12月、浅田は韓国で行われたグランプリファイナルで、ライバルのキム・ヨナ(韓国)を破って逆転優勝した。この時もゴルフの石川とともに浅田を紹介し、「奇をてらわない正統派」の選手と書いた(ブログ2)。
09年になると、浅田は一転して不調となり、キム・ヨナに差をつけられる形となり、グランプリファイナルにも出場できなかった。このためか11月には「浅田真央の試練 挫折を乗り越えて」というブログを書いている(ブログ3)。しかし、この年12月の全日本選手権では不調を克服して優勝、バンクーバー冬季五輪代表に選ばれた。私は当時、水仙にたとえて浅田を称えた(ブログ4)。
2010年2月のバンクーバー五輪。浅田はキム・ヨナに敗れ銀メダルに終わった。しかし、その姿から「敗者の美しさ」を私は感じ、拙ブログでもそのことを取り上げた(ブログ5)。この年の10月、NHK杯で浅田は惨敗した。それはスポーツ選手の「栄光と挫折」でもあった(ブログ6)。
東日本大震災直前の2011年2月には、安藤に敗れた4大陸選手権の模様を書いている(ブログ7)。さらに2013年4月には、浅田の引退が近いという印象を受けたことを記している(ブログ8)。その後2014年2月のソチ五輪では、ショートで失敗した浅田がフリーで圧巻の演技で締めくくったことに触れている(ブログ9)。この五輪後の世界選手権で優勝したあと1年間休養して復帰した浅田は、往年の力を発揮することはできなかった。
浅田の競技人生は「栄光と挫折」の繰り返しだったといえる。キム・ヨナという宿命のライバルが存在し、オリンピックで金メダルを取ることはできなかった。その意味では悲運のスポーツ選手だった。だが、2つのオリンピック(バンクーバー、ソチ)をはじめとする浅田の美しい演技は、長く私たちの記憶に残るはずだ。