小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1210 したいことに理屈をつける人間 3月は交替の季節

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 前回のブログに引き続き「言葉の贈物」(岩波文庫)からの引用。「理性ある動物、人間とは、まことに都合のいいものである。したいと思うことなら、何にだって理由を見つけることも、理屈をつけることもできるのだから」。米国の政治家・科学者で「建国の父の一人」(独立宣言の起草委員)といわれるベンジャミン・フランクリン(1706-1790)の言葉である。

 集団的自衛権の行使を認めさせるため、理屈を駆使して憲法解釈を変えようという安倍政権の動きをみていると、フランクリンの言葉に合点がいく。3月になった。不順な天気が続く日々、考えることが少なくない。

 フランクリンは自伝を書いている。その中で、自らの生き方を律するために13の徳目を決めていたと明かしている。「節制、沈黙、規律、決断、節約、勤勉、誠実、正義、中庸、清潔、平静、純潔、謙譲」である。説明は不要だろう。この項目のすべてに合格点をもらえる人はいないのではないか。

 安倍首相を含め、日本のリーダーたちはどうだろう。理屈をつけることはうまいが、信頼すべき人はあまり見当たらない。 かつて日本のリーダー役を務め、落第した森元首相は、ソチ五輪の女子フィギュアの浅田真央選手がショートの演技で転倒したことについて「見事にひっくり返った。あの子、大事なときには必ず転ぶんですね」と発言し、物議を醸したが、彼などはフランクリンの足元にも及ばない。

 全理事に日付なしの辞表を出させ、「世間ではよくあること」と述べ、不見識ぶりが露呈した籾井勝人NHK会長の言動も、13の徳目とはかけ離れているように映って仕方がない。

 民放テレビで放映した浅田の2時間の特集番組を見た。この番組最後のインタビューで、これからどうするかと聞かれた浅田は「バンクーバーのショートとソチのフリーで、オリンピックでは思い通りの演技ができた。メダルは銀(バンクーバー)だけだったが、目指してきたものはできた」と答えた。スポーツ選手として燃焼できた思いが、この発言から伝わってきた。

 世界選手権後浅田はどのような決断をするのだろうか。いずれにしても、自分の思いを最優先して決断してほしいと願わざるを得ない。

 3月に入って寒さが戻ってしまった。しかし、庭の土の中からチューリップの葉が出、鉢植えの八角蓮も新しい芽を出し、成長を続けている。24節気の「啓蟄」(冬眠していた虫たちが穴から出てくるころ)は3月6日だ。3月という月は詩人の大岡信によると「交替」の月なのだという。以下はその含蓄ある考察だ。

《3月という月は時間というものをもう1回、感じ直すためにある月のような気がする。3月から農作業が始まるわけだが、それは大地が再生するときだ。その時には古いものも同時に存在していて、古いものが新しいものになるだけでなく、古いものを見ることによって新しい要素をはっきり認識することでもある。そういう意味では時間というものが、交替していく時期が3月だ》(要約)

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写真 1、庭先で満開のクリスマスローズ 2、芽を出した八角