1532 便利さで失ったもの 『薇』・詩人たちの考察
現代社会は便利さを追求するのが当たり前になっている。しかし、それによって、人間は楽になるかといえば、そうでもない。コンピューターは世の中の進歩に役立った。パソコンの導入によって企業の事務処理能力が格段に楽になったはずだが、仕事量は相変わらずだし、紙の消費量も減らない。便利さとは何だろうと考えるは私だけではないだろう。
最近届いた詩誌『薇 15号』の中で、2人の詩人も「便利」について短いエッセーを書いている。それを要約すると、「便利は不便」と題した秋山公哉さんのエッセーは、NHKの朝の連続ドラマで電化製品が主婦の負担を減らした話と電気洗濯機の思い出に触れたあと、鉄道の相互乗り入れ(高崎線の例)で便利になったはずなのに、路線が長くなったためトラブルが増え、遅れや運転中止の確率が倍以上になったこと、個人的には上野始発なら座れたのに座れなくなってしまったことなど、便利なはずの相互乗り入れが秋山さん個人には不便になったと記している。
東日本大震災のような停電が発生すると、オール電化では何もできなくなってしまうことに触れた秋山さんは、太古にこの地球にいたネアンデルタール人がなぜ滅びたのかに筆を進める。「恵まれた肉体が工夫を妨げたという説がある。肉体を便利と読み替えてみると、怖い」という結びを読んで、スマートホンに振り回される現代人の姿を思い浮かべた。
「便利さと引換に」というエッセーを書いているのは植村秋江さんだ。植村さんはNHK(Eテレ)の「日曜美術館」のファンで、再放送で見た「向井潤吉の戦後」について触れ、「私たちがともすれば忘れがちな日本人の心を思い出させ、真に大切なものは何かを考えるいい番組であった」と評価している。植村さんによると、向井は日本の伝統を残す重厚な茅葺屋根の家を2千点も書き残した画家である。しかし、日本は高度経済成長とともに開発ラッシュとなり、茅葺屋根の民家は部落ごと湖底に沈み、高速道路工事で消えて行った。「便利さと引き換えに、地方の過疎を推し進め、取り返しのつかない大切な風景が失われていったのである。失われたのは風景だけだろうか。家族制度の崩壊、高齢化社会などなど、大きな問いかけをされている」。植村さんの思いに共感を覚える。
故郷から新米を送ってきた。友人の高橋郁男さんの『風信』という詩の一節を思い出しながら、食べた。
新米で炊いた飯を
一箸つまむ
白菜漬けを
少しつまむ
飯を
もう一つまみして
噛む
みそ汁を啜る
晩秋の朝
それだけで
ほぼ満ち足りる
(「コールサック87号」小詩集、『風信』より)
写真・千葉県君津市亀山湖の紅葉(関東で一番遅い紅葉が見られる場所といわれる)
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