小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1732 過去・現在・未来 詩誌『薇』から

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 埼玉在住の詩人たちの同人詩誌『薇』の19号が届いたのを機会にこの詩誌のバックナンバーを取り出し、頁をめくってみた。創刊号に印象深い詩が掲載されていたことを思い出したからだ。この詩誌は2009年12月に創刊、年2回発行されている。今号は創刊時からのメンバーだった石原武さん追悼号となっており、この詩人の5つの詩のほか、メンバー8人の作品と「小景」というエッセーで石原さんをしのんでいる。

  創刊号で私が強い印象を受けた北岡淳子さんの詩『未来へのことば』を紹介する前に、今号のことに少し触れてみたい。石原武さんという詩人のことである。石原さんは詩人・英文学者・翻訳家(元日本詩人クラブ会長、文教大学名誉教授)で、ことし3月20日に肺炎で死去した。87歳だった。『薇』の中心メンバーとして17号(2017年12月)まで作品を寄せていた。この号の『始末』という詩は、現代日本の断面を映し出している。

 

  認知症の妻を連れて老人ホームの住人になった

  早食いの男とテーブルを分け合う羽目になって

  惨憺たる出発であった。

 

  彼には会釈や挨拶という習慣もないらしく

  配膳が済むとジロリと一瞥して猛然と食事に向かうのである

  瞬く間に飯も汁も空にして

  肴や野菜を飲み込むと 奇声を上げて車いすで退場するのである

 

  彼に限らず老人たちは早食いが多い

  負けまいとして私も妻も奮闘するが

  いつも残飯を前にして敗残の日々である

 

  ここまで走ってきて

  これからここでゆっくりしよう

  始末はそう急ぐこともないだろうと

 

  呆けた妻の手を握っているのに

  こんなに急かされたら

  「あとはただお陀仏」と

  ハムレットの最後を衒(てら)って目をつむるしかないのである

  

 次に、詩『未来へのことば』である。これは北岡さんが、1945年に原爆投下直後の長崎で撮影された「焼き場に立つ少年」の写真の印象を描いた詩である。ことし1月にはローマ法王庁が、フランシスコ法王の指示で教会関係者に対し、少年の写真入りカードを配布したことが話題になった。(私もこの写真についてブログで触れている)。この写真に対する詩人の感性は鋭い。

 

  両足を揃え指先までぴっと伸ばした不動の

 姿勢で少年は現れた その日を封印した元兵

 士の内 に直立不動の背を押し当てて 背には

 仰け反る弟が冷たく目を閉じている まだ腰

 丈に満たない少年の張りつめた貌と 仰け反

 る弟の丸い頭と張り出したお尻 兵士は身を

 かがめて ただひとり世界にたつ少年を写し

 撮った 絶たれた関わりになおも結ばれて唇

 をかみしめ がらんどうの世界を引きずる少

 年を 白いマスクの男たちは黙って 少年の

 おぶい紐をほどき 弟を火の中に置く 幼い

 肉体が水に溶けるジュッという音 それから

 あどけない顔のまわりにも真っ赤な炎が立ち

 上がり 弟は燃えた 頬を炙られながら 炎

 の鎮まるまでを見つめ続けて少年は無言の

 まま立ち去った とかつての兵士は記した※

 

  探したのです しかし彼の消息は手がかり

 さえも得られなかった 消された街の人々と

 同じ病いに身を侵された兵士だった男はその

 日に寄り添う まだどこにもたどり着けない

 まま がらんどうの死臭の街を彷徨い続けて

 いる少年や 数え切れない人々が  ひとり一

 人彷徨っている街に 写し撮れなかった臭い

 と〈ネガにうつった日本人に笑顔はなかった。

 幸せなんてどこにもなかった※〉グランド・ゼ

 ロとなったその日以後 過ぎた日は重く な

 おも託された未来がある 銃を構える兵士た

 ちの前で 少女が差し出した一本の白い花の

 ように 素の心があなたのなかに私を見る

 足下に寝息を立てる犬の温もりを抱き取る

 路傍の花と眼差しを交わす もしかしてその

 ような些細なことの内に 世界は未来へのこ

 とばを生むのかもしれない

 

  注※は、軍曹として第2次世界大戦に従軍後、

 1945年9月、占領軍のアメリ空爆調査団の

 公式カメラマンとして訪日したジョー・オダネル

 の言葉を引用。同氏は、およそ7ヶ月間にわたり、

 長崎や広島を歩き、日本と日本人の惨状を目の当

  たりにした。記録写真「焼き場に立つ少年」をモ

 デルにした。2007年85歳で癌により逝去。

 

 ▼関連ブログ

 

 1614「焼き場に立つ」少年の写真 ローマ法王「戦争の結果」

 

 555 詩人が考える言葉とは 詩集「薇」から

 

 741 「言葉と向き合う」詩人の死  追悼飯島正治氏

 

 829 「ここは私が生きてきた場所なのだ」 詩人の声を聞く

 

 907 東日本大震災と文学・詩 比喩が成り立たない 

 

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