かざす手のうら透き通るもみぢかな 大江 丸
立冬(11月6日)はとうに過ぎている。暦の上では冬なのだが、晩秋というのが実感である。木々の葉が赤や黄色に色づき、落ちる寸前の美しさを誇っているようだ。この季節、高野辰之作詞、岡野貞一作曲の「紅葉」という歌を思い出す人も多いだろう。
105年前の1911年(明治44)から歌われている名曲である。なぜ、いまも歌い継がれているのだろう。
秋の夕日に照る山紅葉 濃いも薄いも数ある中に 松をいろどる楓や蔦は 山のふもとの裾模様 渓(たに)の流れに散り浮く紅葉 波にゆられて離れて寄って 赤や黄色の色様々に 水の上にも織る錦
作詞者の高野は、この3年後に「兎追ひし彼の山」でよく知られている「故郷」の詩も書いている。北信濃といわれる長野県豊田村(現在の中野市)出身である。猪瀬直樹は『唱歌誕生 ふるさとを創った男』の中で、「この詩(「紅葉」)が日本人に歌いつがれているのは、前半の賑やかなシーンと後半の散華のシーンをふたつに分け、コントラストを描き出しているせいかではないか」と解説している。
猪瀬は、さらにこう続ける。
「北信濃の四季は、頂点と谷底が明瞭なのだ。幾重にも連なる青い峰々が朧に霞んだ月をひきたてるころ、桜は満を持して蕾を膨らませている。山裾の渓流に浮かぶ紅葉のはかなさがきわだつ晩秋、愁えるいとまもなく豪雪が襲い、風景を一変させるのである」
「紅葉」の詩は、信越本線熊ノ平(昭和38年に廃駅)付近からの眺めをもとにしたものといわれ、尋常小学唱歌として普及したのだ。
車で10分程度の近い場所に千葉市立泉自然公園がある。紅葉(楓)の名所と聞いて、初めて行って見た。沼の岸辺に植えられた楓の葉が赤や黄に染まり、陽光に映えて美しい。しかし、その紅葉に背を向けて、三脚にカメラを付けた男性の老人数人がいた。みんな望遠レンズを使っている。
「カワセミですか」と聞いてみると、1人が「うん」と小さく答えた。沼に来るカワセミを狙っているのだという。花より団子ではないが、紅葉よりカワセミの撮影が大事らしく、彼らは日が暮れる直前まで立ち続けるのだろう。
紅葉より珍鳥狙うカメラ老(自作)