小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1079 「人は生き、愛し、苦しみ、亡くなる」 美しい横綱・大鵬との別れ

画像 不世出の大横綱といわれた大鵬が19日に亡くなった。いつも遠くを見るような、哀しみを湛えたような風貌を忘れることができない。土俵入りは孤高さを感じさせ、私は「この人は笑ったことがあるのだろうか」と思ったものだ。

 大鵬と同時に横綱になり、柏鵬時代を築いた柏戸は17年前に亡くなり、大鵬を倒して引退に追い込んだ初代貴ノ花ももういない。双葉山と並び称される大横綱の死は、経済の高度成長期を歩んだ多くの昭和世代に、人生の絶頂期が遠くなったことを実感させたに違いない。

「人は生き、愛し、苦しみ、亡くなる。当然のことながら故郷の山河でもどこでも生死の無数のドラマが継起する。緑の生気にみちた夏の光がそこに注いでいる。光も人々の笑い声も、主はかわっても同じように一つの風景と人間の生活を示していることに変わりはない」。

 滋賀県高島市で生まれた文芸評論家の饗庭孝男は、自身の生い立ちや饗庭家の歴史を書いた「故郷の廃家」(新潮社)の中で、こんなことを記している。

 生まれ故郷の樺太(現在のロシア・サハリン)から母親と命からがら引き揚げ、北海道で苦しい少年時代を送った大鵬は、普通の人以上に多くの悲しいドラマを体験したのだろう。それがあの表情になったのではないかと私は推察する。

 大鵬の現役時代、大鵬よりももう一人の横綱だった柏戸が好きだった。相撲の解説には柏戸の相撲について「左前褌(みつ)右おっつけで一気に突進するという取り口」とある。

 要するに、相手のまわしの左側の前の部分を左手でつかみ、右手の自分の肘を自分の脇に押し付け(「おっつけ」の名の由来という)、右手は相手の肘に外側から当てがい、しぼり上げながら、相手を寄り切るという相撲だ。見ていて、気持ちがよかった。

 相撲の世界では、自分の得意の型になれば無類の力を発揮することを「型がある」といい、強くなるには「型を持て」という指導を受けるそうだ。柏戸の取り口はまさに彼の「型」だった。だが、一方の大鵬は相撲の型がないといわれた。型を持った相手がどんなに攻めてきても、柔軟な体で受け止め、いつの間にか勝負に勝ってしまう。負けない横綱だった。

 そして、何より美しい横綱だった。千代の富士も美しかったが、大鵬には及ばない。 大鵬が活躍した時代(1960年―1971年)は経済の高度成長期だった。作家の堺屋太一通産省(現在の経済産業省)勤務時代、新聞記者に「高度成長が国民に支持されるのは子供が巨人、大鵬、卵焼きを好きなのと一緒だ」と話したのが、流行語として有名な「巨人、大鵬、卵焼き」になったと新聞に出ていた。

 当時、日本ではサッカーはいまほど普及しておらず、野球と相撲がスポーツ人気を二分し、野球では巨人、相撲では大鵬が圧倒的に強かったし、卵焼きは私を含め給食のない子どもたちが持参する弁当のおかずとして定番だった。

 以前、北海道に住んだ時代、大鵬が少年時代を送った弟子屈町川湯温泉に行ったことがある。そこには「川湯相撲記念館」があり、大鵬銅像もあった。本人が生きているのに故郷に銅像が建った人物はあまり知らない。それほど、大鵬の存在は偉大だったのだ。 追記 幕内に上がる前や引退後の写真には笑ったものもありました。