小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1494 雄々しい高橋英吉の《海の三部作》 被災地作品展を見る

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 私が高橋英吉という彫刻家の名前を知ったのは、もう36年前のことになる。だが、その作品を見る機会がないまま長い歳月が過ぎてしまった。先日、東京藝大美術館に足を運び、そこで高橋の作品に初めて接した。海に生きる雄々しい漁夫をテーマにした代表作の木彫作品《海の三部作》の《潮音》《黒潮閑日》《漁夫像》が目の前にある。その作品の前で立ち止まり、私は初めて高橋の家族と出会った当時のことを思い出した。

 1911年に石巻市で生まれた高橋は、東京美術学校(現在の東京藝大)で木彫を学び、彫刻家として将来を期待される作品の制作を続けた。だが、太平洋戦争に応召し1942年11月、多くの餓死者を出したガダルカナルの戦いにより31歳で戦死、彫刻家としての才能は南の島で断ち切られてしまった。  

 私は36年前の1980年10月、取材でソロモン諸島国の首都ホニアラがあるガダルカナル島を訪れた。財団法人南太平洋戦没者慰霊協会(当時)が島を見渡す丘の上に「ソロモン平和慰霊公苑」をつくり、戦没者の慰霊碑と高橋の作品のうち《潮音》のブロンズ像を建立した。式典には高橋の未亡人の澄江さんと一人娘の幸子さん(版画家)や高橋を知る石巻の人たちも混じっていて、私は若くして戦火に散った彫刻家がいたことを知った。  

 高橋は石巻の網元の家の末っ子(五男三女)に生まれ、東京美術学校を出た後、家業が傾いたため南氷洋捕鯨船で半年働いた。この体験を基に桂の木を使った《海の三部作》が生まれた。平和慰霊公苑の一角に建立された《潮音》のブロンズ像の碑文には「海と空のかなたをみつめ 大漁を祈る雄々しい漁夫の像が ソロモン諸島に永遠の平和と幸せをもたらさんことを…」と日本文と英文で書かれていた。一方石巻には《海の三部作》を初めとする高橋の作品を常設展示する石巻文化センターが1986年11月に開館した。だが、センターは2011年3月の東日本大震災で被災し、建物は2013年に取り壊しになった。  

 東日本大震災では石巻文化センター同様、各地の美術館、博物館も被災し、収蔵されていた作品・資料も津波によって大きな被害を受けた。その修復処置に全国の美術館が協力したことはあまり知られていない。これらを含め東北の美術家たちの作品100点を集め「いま、被災地から――岩手・宮城・福島の美術と震災復興――」という企画展が東京藝大美術館で開催されており、その中に高橋の作品も混じっていたのだった。会場には《海の三部作》や《少女と牛》という木彫作品のほか、召集されたあとに家族に宛てたスケッチ入りのはがき30点も展示されていて、私の頭の中に家族を思いながらスケッチを描く高橋の姿が浮かんだ。  

 笛を吹く少女が牛の背中に横座りしている姿の《少女と牛》は小さな作品だ。被災前には完全だったこの作品も少女の左足先端部分はかけてしまった。それでも、この作品はなぜか見る者に生きる力を与えてくれるのだ。  

 藝大美術館真ん前の陳列館では、イスラム過激派、タリバンによって破壊されたアフガンの「バーミヤン東大仏天井壁画」の復元された姿が公開されていた。人類の遺産である文化財地震津波という自然災害だけでなく、人間によっても脅威にさらされる。日本はその修復・保存活動に取り組む技術を持っている。

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にほんブログ村  写真  1、東京藝大では被災地展と「バーミヤン大仏天井画~流出文化財とともに~展」が開催中だ。  2、「いま、被災地から」のパンフ。左の立像が《潮音》。  3、《海の三部作》と《少女と牛》(図録より)