小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1474 「スティグマ」助長の責任は ハンセン病患者の隔離法廷

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 最高裁は、かつてハンセン病患者の刑事裁判などを隔離された療養施設などに設置した特別法廷で開いていたことに対し報告書を公表し謝罪した。「社会の偏見や差別の助長につながった。患者の人格と尊厳を傷つけたことを深く反省し、おわびする」という内容で、「特別法廷は憲法の公開の原則に違反する」という有識者委員会の指摘は受け入れず、しかも謝罪したのは寺田逸郎最高裁長官ではなく、事務方トップの今崎幸彦事務総長だった。

 最高裁のこの姿勢は謙虚さに欠けるもので、形式的謝罪としか映らない。 ハンセン病を象徴する言葉として「スティグマ」が使われる。古代オリエントの言葉で牧場の牛や羊に所有者が付ける焼印を意味するが、それがハンセン病患者の人権無視、差別を象徴する言葉として使われている。ハンセン病の烙印を押された人々は、強制的に隔離されたまま一生を送ることを強いられ、人としての尊厳を踏みにじられていたのだ。

 ハンセン病をテーマにした小説、『いのちの初夜』はよく知られている。昭和初期、ハンセン病の専門病院に入った青年の目で病院内の悲惨な状況が描かれた作品は、完成度の高い純文学として読み継がれている。著者の北條民雄自身がハンセン病患者だった。北條はペンネームで、本名が出身地の徳島県阿南市によって七條晃司と公表されたのは没後77年を経た2014年(平成26)のことだった。

 親族がハンセン病に対する偏見・差別を恐れて長い間公表を控えていたという。阿南市の20年にわたる説得で本名の公表に同意したのだが、このことはハンセン病に対するスティグマが日本社会に深く浸透していたことを示す一例といっていい。

 日本では1907年(明治40)に制定された「癩予防ニ関スル件」(法律第11号)によってハンセン病患者を強制隔離する人権無視の政策が始まった。この法律は1931年(昭和6)に「癩予防法」(旧法)となり、さらに1953年(昭和28)に「らい予防法」(新法)と改められたが、ハンセン病患者排除の思想を継承し、ハンセン病患者は国立の療養所(全国13カ所)に強制的に入れられ、社会と隔絶された生活を送らなければならなかった。

 1998年(平成8)になってようやく「らい予防法」が廃止になった。この後、鹿児島県と熊本県の2つの療養所の入所者が起こした国家賠償請求訴訟で熊本地裁は2001年(平成13)5月11日、①旧法(癩予防法)を1953年まで廃止しなかった立法不作為②新法の違憲性、1953年以降廃止しなかった立法不作為―について国の責任を認め、原告勝訴の判決を言い渡した

 。国のハンセン病対策の誤りを厳しく問う画期的な判決といわれ、国は控訴せず判決は確定した。 この判決で60年(ハンセン病は確実に治る病気になっていた)以降隔離政策は不要だったと認定したが、60年以降も27件の特別法廷を機械的に許可していたのだから、最高裁は「スティグマ」助長に手を貸していたといっていい。

 裁判の公開に関する部分では報告書は「裁判所が告示(開廷を知らせる張り紙)を行っていたことが推認され、一般の国民の訪問が不可能だったとは断定できない」と、こじつけのような言い回しで違憲ではないと弁明している。牽強付会と言うしかない。

 生かされて生きて今あり豆の飯 村越化石

 静岡県志田郡岡部町(現在の藤枝市岡部町)出身で、旧制中学時代に発病した俳人の村越さんは国立療養所栗生楽泉園(群馬県)で2014年3月に亡くなったが、91年の生涯の大半を療養所で暮らした。2000年にはもう帰れないと思っていた玉露の産地である故郷に句碑が建ち、里帰りすることができた。家を出てから実に60年ぶりの帰郷だった。

 村越さんは、その思いを「望郷の目覚む八十八夜かな」という句にしている。「生かされて生きて今あり」や「「望郷の目覚む」の句からは、村越さんをはじめとするハンセン病患者が苦難の人生を歩んできたことが伝わる。

 ハンセン病患者の強制隔離を定めた「らい予防法」の廃止に尽力した元国際医療大学学長の大谷藤郎さんは、こんな言葉を残している。

≪戦前戦後のハンセン病患者の国家隔離の結果による死は、熊本地裁が判決(らい予防法違憲国賠訴訟)で示したように国家による犯罪である。日本の現近代史上2度と犯してはならぬ間違いである。このことを政治家、行政官、さらには一般の国民の皆さんもゆめゆめ忘れてはなりません。そして2度と起こさないことを改めて誓い直そうではありませんか≫

 最高裁の裁判官にもかみしめてほしい言葉である。

 追記 寺田最高裁長官は5月2日、3日の憲法記念日に当たっての記者会見で、この問題について「裁判所に差別の助長につながる姿勢があったことは痛恨の出来事だ。国民に深くおわびする」と述べ、謝罪した。だが、「国民、特にハンセン病患者の方々に」とすべきではなかったか。裁判所が犯した過ちを裁判所自身が調べ違憲ではないとした報告書について「理解できる」と語った。これにも違和感がある。

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